がんの早期発見に威力を発揮【PET検査】

秘密厳守の郵送血液検査
レス数が630を超えています。700を超えると表示できなくなるよ。

癌掲示板..>末期肝臓がん患者 家族の立場から

1 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/06(木) 08:06
治療のすべのない母を半年間自宅で介護していましたが、先日葬儀を
終えました。
別スレで意見交換していましたが、テーマからずれてきましたので、
こちらに新スレを作りました。
家族の立場からいろいろ意見交換できれば・・と思います。
別スレからの続きになりますので、わかりにくい点あるかもしれません。
肝臓がんの治療は・・・をご参考ください。

何から書いたらいいのかわかりませんが、この一ヶ月、もうだめかもしれない
という思いを何回も繰り返しながらも復活し、でも、少しずつ衰えていきました。
意識レベルがさがり、問いかけには何かを答えようとするのですが、言葉がでて
こなくなったり、混乱したり、水を飲めなくなったり・・。
ただ、最後まで本人は諦めることなく、努力の人でした。
本人のつらさがなくなるのなら病院に・・との思いでしたが、病院での処置と
自宅で過ごすことを天秤にかけながら、迷いながら、結局は最後まで自宅で
過ごしました。迷い続けた日々でしたが、今はベストだったと思っています。
最後の半日は、特に最後の一時間ぐらいは本人もきつかったと思います。
私は、自宅での家族の世話で、最後の瞬間は立ち会うことができませんでし
たが、父と叔母二人に見守ってもらいながらの旅立ちでした。

母とは生き方が違い、つらくあたった時期もありました。
ただ、いよいよ状態が悪くなっての半年で、母の介護をさせてもらえることで
今までの親不孝を少しでも償えるよう時間を作ってもらえたように
思います。
自分のためというよりも、家族のためにがんばってくれた母に本当に感謝しています。
また、介護の時間の中では、母の気持ちを尊重するあまり、とにかく父とぶつかりま
したが、母が亡くなるときにいろいろな思いも持っていってくれたようで、不思議
と父に対する気持ちもすーっと楽になったようにも思います。
改めてすごい人だと思います。

家族皆、悲しいというよりも、家族のために頑張りすぎるほど頑張った母に
やっと楽になれてよかったね・・という気持ちのほうが大きいです。
みな極限の状態でしたので、今日は少し体を休めて、また歩きだそうと
思います。

多分別スレからお付き合いいただいている方々も多いと思います。
うれしいお知らせも、心強い支えも、私の励みでした。
本当にありがとうございます。

また、新しくご覧になった方々へ。
決して決まったメンバーでの閉鎖的なスレッドではありません。
同じ立場を共有するものとして、体験したものしかわからないこと、
また情報があります。
少なくとも私は、とてもつらい状態のときに、そういうスレッドを
探していました。お互い支えあって、大切な家族が少しでも幸せな
状態が続くように心を尽くしましょう。
そういう祈りをこめて・・・・。


620 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2008/05/05(月) 21:20
カヅコさんへ
とても辛い思いをされたのですね。
いつまでもお父様の壮絶な姿が脳裏に焼きついてぬぐいされない
のですね。
治してもらえる信じておられたお父様の気持ちを考えるといても
たってもいられなくなるのでしょう。
同じく父をなくした私には自分のことのように思えます。
悲しみはすぐには癒えません。
時間が必要です。泣くだけ泣くしかないときもあるのです。
でもお父様は病の苦しみからもう解放されたのです。
そう考えて、一日も早くカヅコさんにも心の平和が訪れますよう
お祈りしています。
ひとりで悩まないで、辛い気持ちをここで吐き出して一歩ずつ
進んで下さい。


621 名前: にゃっち 投稿日:2008/07/14(月) 01:07
うちも2年目を迎えむかわりをする事になりました。当時この掲示板でどれほど気持ちが救われたかと思い、久々にこれを開いてみました
カヅコさん、親をなくす気持ち。痛いほどわかりますよ。うちの場合は早い段階で家族の判断なく医師が本人前でいきなり余命を言われたので
、それはそれでどういっていいのかわかりませんでしたが、家族の胸だけにしまっておくのはとてもつらい事ですね;;最後家族で見送ってあげれたのはとてもよかったと思いますよ。
聞いた話ですが、息をひきとる間際までみみだけはしっかりきこえていると聞いた事があるので、かぞくのかたがそばにおられてきっと心細いきもちが緩和されたと思います。
なくなられてしばらくすると、ジワジワと寂しさがこみあげてきますので残られた家族でしっかりとお父さんの分まで生きていかなければダメですよ!
お父様もそう願っておられるはずです。僕もここではこさんや富ママさんに聞いてもらって、がんばっていこうと勇気がわきました。自分は大したことはいえませんが、どうか頑張ってください。


622 名前: きよんた 投稿日:2008/09/22(月) 11:21
はじめまして。末期がんの父を思って、どう過ごさせてあげればよいか解からず、書き込ませて頂いています。
父が、二週間前に「おなかが張る」と、検査入院してその結果、PETで
体のあちらこちらがきらきらしていて、たまってきた腹水の中にもきらきら光っている、と言われました。
がん細胞を、もう腹水が全身に運んでしまい、全身に転移してもう、手の施しようがないとのことです。
手足の先はすでに冷水のように冷たく、足はパンパンにむくんで、食事はおろか飲み物も少量ずつをやっと、の
状態です。痛みもあり、医者からは、「余命1ヶ月」の宣告です。本人は、事実は
知りませんが、状態がひどく悪く、積極的治療もなされていないため、「じいさんばあさんが呼んでいる」
などと漏らしています。
父は、10年前にも喉頭がんを患い、長い闘病の結果、声帯を取って癌自体は完治しましたが、
声を失ってしまったので、今回のがんで、「イタイイタイ」と叫ばせてあげられないことが
可愛そうでなりません。痛みや嘔吐に耐えて、迫ってくる命のタイムリミットに恐怖があるだろうに、
じっとベッドに座っているだけの姿は、思い出すだけで涙が止まりません。
わたしは仕事を持ち、家庭もありますが、できる限り病院に行って、たわいもないことを
話して、母ともよく一緒に居るようにしています。娘二人も「じったん」を
よく見舞って折り紙を折ってはプレゼントしています。
わたしは、こんな風でよいのか、何か父にしてあげられることはないのか、
何がよいのか、冷静に考えられません。ただ、「もう助からない」余命の宣告はしないで
おこうと、母とは話しています。
すみません、心が乱れていてまとまりません。どうか同じような体験をされている方に
一言いただけたら幸いです。

623 名前: 投稿日:2008/09/24(水) 03:17
きょんたさん初めまして。お父様のご容態がまさに、私の父と似た状況で、ご心中お察しいたします。
毎日のように病院に通われてるとの事、お父様はとても喜ばれておられると思います。
私事ながら遠くに嫁ぎ、きょんたさんのように毎日顔を見にはいけない親不幸者の私は、
平日毎日歯がゆい思いをしています。私できる事といえば、会えれば心安らかで過ごしてもらえるよう、
笑顔と優しい応対や、マッサージなどスキンシップ、父の話に耳を傾けることでしょうか。。
後、母のフォローも大事かなと思っています。母が追い詰められると父が心配しますので、
父のためにも母のためにも、息抜きや優しい対応を心がけ、母の話にも耳を傾けるよう最近努力しています。

私の父は膀胱癌で全摘出、肺転移、癌性腸閉塞傾向(疼痛あり)、腎臓肥大、脱水症状で今日緊急入院しました。
食事もとれず、飲み物も嫌がり、死期が近いのではと思っています。今夜は点滴をしていただいたようで、
少し声に元気が戻っていました。持病に肺気腫があるので呼吸困難もあり、見るに耐え難い時もあります。

私にも息子がおります。病院に連れて行きたいのですが何分怪獣なもので、あまり連れて行けないのが残念です。
きょんたさんのお嬢様たちのお顔をご覧になられてるんですね。おじいちゃま方にはもしかしたら、
私たち子よりも孫の方が良い元気薬で、癒されておられるかもしれませんね。(苦笑)
どうか折り紙の祈りが届きますように。。

今日は父に手紙を書きました。こうして時間を与えられた幸運?を使わない手はないと思いまして。
もう今更伝えなくてもいいかなと思いつつ、言葉ではうまく伝える自信がないので、
感謝の気持ちを持って今週末から帰ろうと思っています。間に合ってくれるかどうかとても心配です。

きょんたさんのお気持ちはお父様に十分伝わっておられると思います。親子ですもの。
後は少しでも長く側にいる事ではないかと思います。
ご心労に潰されぬようご自愛下さいませ。
私も頑張ります。

624 名前: きよんた 投稿日:2008/09/26(金) 23:47
海さん、お父様のこと遠くから祈るような気持ちでご心配されているとのこと、
どうにもならない状況の中、本当にご心痛のことと思います。どうかどうか
週末にお会いになれるのでしたら、出来る限りのときを一緒に居てさし上げて下さい。
さしでがましいことを言って申し訳ありません。

といいますのも、とうとう私の父は、こちらに書き込みをさせて頂いてまもなくの翌日、
息を引取りました。22日から23日に掛けての真夜中のことです。
「急変しました」と病院から連絡を受けて、母と駆けつけたときにはもう、帰らぬ人と
なっていて、それどころか、看護師の方の巡回を受けた時点でもう、意識もなく血圧も
ひどく低下してしまっていたようです。どのようになくなったか誰も見届けてあげることも
できず、「お父さん」と引き止めてあげることも出来なかったことは、ただただ
申し訳なく、辛くて胸が痛くて後悔の念ばかりです。外泊許可を頂いて、何とか家で一日を
過ごさせてあげようとしたその日のできことでした。

思えば、一切食べなかったのに、プリンを二口食べ、自分で排便なんてできないはず
なのに、その日は「自分でできたのよ」と母から喜んで電話を受けたのでした。何か
おかしいな、これはいわゆる小康状態じゃないよね・・・、と思っていたのでした。

海さん、お父様に寄り添って上げられるならどうぞ、息子さんも是非できるだけ
そうしてあげてください。わたしなんかが言わなくても、そうしたいと思われていると
思いますが、わたしたち家族が誰一人、父を見届けられず、一人で逝かせてしまったことは
心をえぐられるほどに悲しいことです。怪獣といわれるお孫さんの元気をどうか
お父様に分けて差し上げられますよう。
本当に本当に、心から海さんとご家族が、お父様と少しでも長く一緒に時を過ごせますことを
お祈りしております。

625 名前: 投稿日:2008/10/01(水) 07:13
きよんたさん…
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
実は私の父も28日夜息を引き取り、昨日葬儀を終えました。きよんたさんの書き込みを逝った夜に読ませて頂き、涙でお返事出来ませんでした。

お父様、急変されたのですね…お辛いですね。もう少し猶予があるばずでしたのに、ショックでしたね…。お別れ際にお会いになりたかったお気持ちを想うと、本当になんと申し上げでよいか言葉も出ません。でもお父様もお孫さんにお会いでき、きよんたさんのお気持ちは伝わっていたはずです。

私たちの父たちは、痛みや苦しみから解放されて良かったと思いましょうね。余命宣告の日にち分の苦しみから逃れられたのは、天の有難い采配だったように感じられてなりません。

まだまだお忙しい日を送っておられると思いますが、どうぞ後々のお疲れが出ませんように。
そしてお疲れ様でした。

626 名前: きよんた 投稿日:2008/10/05(日) 23:48
海さん、海さんもお父様を時同じくして亡くされたのですね・・・。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
そんな中でも、私の苦しみを和らげて下さるような、温かな書き込みを本当にありがとう
ございました。

海さんは、お父様のそばに寄り添っていらっしゃることができたのですね。
お父様は、お近くに愛する海さんやお孫さんをきっと感じられて、心安らかに旅立たれた
と思います。もっともっとこれからも一緒にいたかった、ですね、ほんとに。
でも、海さんのおっしゃるとおり、家族の思いに包まれて、病気の辛さを少し早めに切り上げる
ことができたんですよね。

私の娘が、夢で父に会ったそうです。6歳の子です。父は、「天国でもう、病気が治ったから痛くないよ」
と言っていたと。車椅子で現れて、娘をハグしてくれようとしたので、
そばに行ったら、立てないだろうと思ってたんだけど、ちゃんと立ったんだよ、と。
涙があふれました。きっと、海さんのお父様も、同じだと思います。

海さんも、何かにつけふと、心を痛められたり涙されたり、戸惑われたり、と
あるかとは思いますが、どうぞ無理をなさいませんよう。
お寺の住職にこんな話を聞きました。寿命が短く去られた方の魂は、受け継がれて
あとまだ10年20年とあるはずだった人生の力は、必ず子や孫の徳となって、守られて
いくんだと。精神論みたいですが、私たちの父は、本当に大きく見守ってくれるために
旅立ったのですね。


627 名前: 投稿日:2008/10/09(木) 11:47
きよんたさんありがとうございます。お嬢さん、元気なおじいちゃまとお会い出来たんですね。きよんたさんのお父様なのに父と重なってしまいました・・本当に良かったです。

そうです。私はずっと側に付き添えました。良かったと思わなくてはならないと頭ではわかっていますが、昏睡前の辛い別れを、まだ誰にも、交代で休んでいた母にさえも本当の経緯を話せずにおります。
父は広範囲に、肝臓も転移しており、今後痛みは避けられないと言われてましたが、主治医からは痛みなどは薬で緩和しますとのお話だったので、てっきりホスピス的な意味かと勘違いをしてしまい、病院の対応にかなり戸惑いました。私のその手際の悪さが、父の苦しみに直結していたことが悔やまれて悔やまれて…田舎の病院システムや医師不足の現状、これからの緩和医療の発展を望まずにはいられません。

悔やんでももう後の祭りなんですよね。父に最後まで呆れられちゃいました。どうしようもない娘でした。

きよんたさん、私はね思うんです。私の父はもう近くにはいない。というか、いてほしくないと。もう責任も心配も何もかも荷物を下ろして、あの歌のように、自由な風になってほしいな~なんて。父の背中と言葉と愛情を十分感じてきたから…。たくさんたくさん親不孝してきたから…。遺品整理を始めて、知らなかった過去が次から次へと出てくるんです。父の姿を物を通して見えてくると、更にその思いは強くなってきます。

きよんたさん、こんなにポッカリ穴が開いてもお腹が空き、テレビで笑い、子供の寝顔に癒され、毎日過ぎていくんですよね。不思議です。
今日はこちらは快晴です。きよんたさんの空も晴れてますように…

628 名前: ふう 投稿日:2008/11/05(水) 01:09
はじめまして。
2年位前からこちらを見させていただいていました。書き込みはしませんでしたが、
皆さんと一緒に頑張るつもりで・・・・
6年前、皮膚がんを患っていた主人の父を看取りました、二年後、肝細胞がん伯母(母の姉・子供のいない伯母夫婦で同居)で看取りました。

いま私の母が、肝細胞がんを患っています。3年前未だ癌が3センチ未満2個以内だった頃、生体肝移植を検討しましたが、
肝臓自体の余力がないことで断念、その他の治療も(ラジオ波・塞栓術・抗がん剤・重粒子・・)いずれも肝臓が悪くなり
すぎていて適応外でした。今となっては私としては母の場合は、癌に攻しなかったことが今の状態を保っていてくれていると
思っているのですが、癌と戦っていないという母の思いに報いたくて、やっと見つけたハイパーサーミァ(温熱療法)を2年
(こちらも大学病院の教授からはそれほどの効果は期待できないかもしれないが、やってみなさいと、毒にも薬にもならない
かもしれないながら)、昨年の9月まで受けていました。その9月に肝癌破裂(近々に)の危険性を指摘され温熱を中止し、
肝癌破裂という状況の衝撃に絶望の中で時を過ごしていましたが、幸い小康状態を保っています。肝性脳症になって
危篤状態になったり、段階を経るたびに医者から告げられることを母を支えながら何とか乗り越えてきましたが、
いますこしづつ症状が進む中、モルヒネの服用、呼吸困難、両足の浮腫、全身の倦怠に精神的にもろくなっていく母、
私自身もこの先今以上のことがおきたとき、やって行けるのかつらい状態に陥っています。
・・・・こんなことで弱音を吐いていてはいけないのは解っていますが、義父を看取ったときも、伯母を看取ったときも、
つらさも悲しみも消化し切れませんでした・・・目の前で人が亡くなっていくことが無条件に私に恐怖を感じさせます。
これから起こることに対する恐怖心に支配され続けたこの一年でした・・・。
辛さを夫に訴えてみましたが、向き合ってはもらえませんでした。せめてセラピーを受けたいとも思ったのですが、
上手くいきません。友人に胸中を吐露してもむしろ負担をかけるだけのようで、かえって申し訳なく・・・・。
でもこうして一年すぎたのだから・・・・
私は一人っ子ですので、心細くはありますがいっそのこと、母のことは自分ひとりで受け止める覚悟を決めて
自分の思いは漏らさずに過ごさなければと・・・・とにかく私がしっかりしなくては・・・と思えるように
なったのが、つい先月です・・・
それでも、どんなに頑張ろうと思っても・・・悲観的になる母をどうささえたらいいのか・・・・
くじけてどうしようもない気持ちになって今日はじめて書き込みました。
長々と甘ったれた思いを書き連ねてしまってごめんなさい。


629 名前: きよんた 投稿日:2008/11/11(火) 00:18
ふうさん、これまで本当に辛いことがたくさんあったのですね。
そして、今またかけがえのないお母様を支えるのに、一生懸命に前向きで
あろうとしていらっしゃるのですね。
ふうさん、心が痛いことと思います。辛くて辛くて悲しいですよね。
わたしの書き込みをご覧になっていると思いますから、父を末期がんで入院後
二週間で亡くしたわたしが、ふうさんの長期に渡る心の痛みを全部わかって
さしあげられるなんて、思っていないのですが、ふうさん、弱音を吐いても
いいんではないかと思うんです。
お母様は、唯一甘えられるふうさんに、この先の不安やそれを打ち消してもらいたい
思いを伝えて甘えていらっしゃるのだと思います。わたしも、「家にはもう帰れないかな」
という父を、何度となく「帰れるよ」「帰ろうね」と言ったものです。
ふうさん、お母様のことを支えてあげるのも大事ですが、同時に自分の心の弱さも
許してあげていいとわたしは思います。くじけてくじけて泣いて泣いて、わたしも
辛いんです、って吐き出していいんですよ。わたしは、自分の書き込みを読んでくれた
方がいらしゃったとき、「ああ、わたしだけが泣いてるんじゃない。わかってくれる
人がいる」ってこちらで救われました。
ふうさん、こちらへの書き込みで少しでもお気持ちが楽になるのでしたら、それだけでも
ひとつ心の抜け道を作っておいてもいいのではないでしょうか。
どうぞお母様が、ふうさんと心穏やかな毎日を過ごしていけますよう、心よりお祈りして
おります。


630 名前: ふう 投稿日:2008/11/19(水) 22:18
きよんたさん、書き込みありがとうございました。
同じ思いをわかってくれる人がいると思うだけで、
ここに気持ちを書き込めただけで・・・救われる思いです。
思わず涙が溢れました。本当にありがとう。
くじけることも多いけれど、日々変わる状況にはとにかく
立ち向かうしかありません。
あれから治まっていた癌の痛みが、現在の量のモルヒネでコントロール
できなくなり追加のモルヒネの頓服、増量と続きました。
今日は増量した上に頓服を追加したものの痛みが治まらず救急で受診し
(「とにかく救急受診してもらわなければ指示が出せないから」と受診したのですが
結局、追加、増量に指示を受けただけですが・・・
痛がっている母を寒い中車に乗せて行って帰ってやるせない思いです)
今帰ってきたところです。
痛みの強いときの母を見ていると悪いことばかりが思われて仕方ありません。
自分の気持ちも、折れたら立て直す毎日です・・・
今はとにかく痛みのコントロールをして、少しでもいい状態で毎日を過ごせるように
と同時に、家族(私の子供たちも含めて)が明るく毎日を過ごせるように・・
母も私も頑張ろうと思っています・・・・
私の住んでいる地方では、夜半に雪マークが出ています。
寒くなりました。
こちらにいらしている皆様、ご家族様、どうかご自愛ください。



 


631 名前: にゃっち 投稿日:2009/01/12(月) 02:56
ふうさん・・つらい気持ちをずっと自分の中だけに閉じ込めてきはったんですね。
ここを見に来てらっしゃる方々は少なからず、同じ様な思いをしてきた方々が多いと思います。
僕は決してあなたの思いが甘ったれた・・だなんて思いません。気丈にふるまっているあなたも人間なんですから・・

痛みがましてくると、見ているほうもどうもしてやれない・・なんとも言えない気持ちになりますよね。
でも今の時間を、一緒に苦しんでそばにいてあげる事がお母様にとってきっと心強い。。1人じゃないんだ・・っておもってくれているはずです。。

寒くなってきたので、どうかご自身の体も労わってください。



632 名前: うとろ 投稿日:2009/03/09(月) 23:05
67歳の父の件です。
2006年6月に膵臓癌と診断、7月に手術をしました。
9月に退院、その後は手術痕が痛いといいながらも一人暮らしを続けていました。
この間、ジェムザールを投与。
2008年4月に肝転移が発覚。抗がん剤をTS-1に変更。
12月に突然意識がなくなり、救急車で搬送され敗血症との診断。
原因は肝癌の破裂なのか、それとも他の原因なのかは不明のままです。
その際に余命3ヶ月と告げられました。本人には内緒です。
1月に退院し、その後も痛み止めを使いつつ一人暮らし。
先日背骨に転移が見つかり、放射線治療を受けることになりましたが「痛いのは肝臓だ」と言い張り
4cmの肝臓の腫瘍に放射線を当てています。

父は非常に頑固な人です。
以前から私の家にきて療養するようにお願いしているのですが、まったく聞き入れてくれません。
放射線治療に毎日通わなくてはならないため、入院させてもらおうと思ったのですが医師から通院の方が本人のためですと
言われたところ、すっかり通院する気持ちになってしまい、入院をすすめる私を怒鳴りつけます。
ホスピスは拒否しています。

痛み止めはデュロテップmtパッチを25.2mgはり、その他ロキソニンとボルタレン座薬25mgを使っています。
ロキソニンとボルタレンでもあまり痛みを抑えられなくなってきたのか、1日にボルタレンを4回使ってしまうことがあるようdせう。
デュロテップを増やしてもらおうと言っても理由はわかりませんがいやだといい、先生にお願いする私をやはり怒鳴りつけます。

毎日朝、夜と電話で話していますが、日に日に弱っていきます。
それなのに、ますます頑固さは増してちょっとしたことでも怒って声を荒げます。

私は仕事をしています。また、自分自身も病気があり近々手術を受けなくてはなりません。
一人息子もちょうど卒園、入学の時期のため、ずっと実家に帰っていることはできないのです。
母は寝たきりで長期入院中、私は一人っ子、父の兄弟は地方在住です。

なんか、もう八方塞がりで気が変になりそうです。

どう対処したらいいのでしょう。
最近はこどもにも優しくできなくなってしまいました・・・。

633 名前: ふう 投稿日:2009/05/08(金) 00:55
春になっていました。
書き込みをして まもなく母の夜の不穏行動が続き(薬のせいか、恐怖によるストレスか・・
いまだにわかりません)なかなかこちらに来ることもままならなくなっていました。
にゃっちさん、メッセージありがとうございました。励ましてくださって本当にありがとうございます。

私自身も母を看るための寝不足か、疲れもあってでしょうか、体調を崩してしまいました。
偏頭痛でかかった医者で、早めに心療内科にかかることを勧められました・・・・が、
原因のわからない身体中の痛みが悪い病気だったらと、気になっていたのが、脳が疲れすぎているからと
診断をもらってかえって気は楽になりました。自分のことばかりかいてごめんなさい。
うとろさん・・お体はいかがですか?息子さんの節目に大変なことが重なってしまいましたね・・・
・・私も一人っ子なんです、、、それぞれのご家庭で状況はもちろん違いますが
介護は結局家族の問題で、生活もしなきゃならない、、、本当に苦しいです。
だから、こういう場所で心を放すこともひとつのほうほうです。
気持ちのくじけている私が申し上げても気は休まらないかも知れませんが・・・
現実に戻れば何も変わらないけれど、同じような思いを抱えた誰かが「そこで」頑張っていることは
私ももう少しやれる・・・すこし背中を押してもらえる気持ちです。
いま母はオキシコンチンをベースにロキソニン、頓服で塩酸モルヒネ、ノバミンを使っています。
4年前伯母の介護をしていたときは、今とは痛みのコントロールは違っていました。
(調べましたらなくなってまもなくオキシコンチンが使われ始めたようです)痛みのコントロールの仕方も
多様化しているようですから・・・
お父様にあった方法が見つかるように、お父様のお気持ちが少しでも和らぐように
お祈りしています。



634 名前: ガン遺伝子治療研究会 投稿日:2009/07/19(日) 13:41
ガン遺伝子治療研究会では、がん患者さんご本人やご家族からのご希望を頂き
、医療機関様を通じて、遺伝子治療薬「RT181」の投与、治療を行っていただいております。
この「RT181」は2002年にボストンで開催された「世界ゲノムがんシンポジウム」で発表されました。
日本には約5年前にはじめて末期のがん患者さんに投与され良好な結果を得ました。
その後多数の患者さんに投与され大変な反響をいただいております。
遺伝子治療薬「RT181」の詳細についてはこちらをご覧下さい。
http://www.ca-opinion.com/idenshi.html
現在、日本では数カ所の医療機関様と提携させていただいております。この遺伝子治療薬
「RT181」はガン遺伝子治療研究会が日本の総代理店をしております。
また多数の患者さんやご家族からの直接のお問い合わせにも対応しております。
今は個人輸入というかたちで遺伝子治療薬「RT181」を入手しておりますが
、一日でも早く国内で生産出来るよう努力している次第です。
今後多くの方々に免疫治療、遺伝子治療を知っていただきたいと思いまして投稿をさせていただきました。
詳しい内容についてはホームページをご覧下さい。

ガン遺伝子治療研究会 
東京都港区赤坂2丁目6番14号 赤坂26ビル
TEL 03-6229-1972 FAX 03-6229-1973
メール info@ca-gls.com
ホームページ http://www.ca-gls.com/


635 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2009/07/19(日) 14:01
>634

ガ○遺伝○治療研○会と称するインチキ治療営利会社さんへ

あちらこちらに、同じものを書き込んでいるようなので、こちらも同じもののコピペで・・・

----------------------------------------
ガン遺伝子治療研究会 理事長 田*輝宏

過去の投稿より

>ググってみると、田*輝宏氏って佐野*太郎センセイの外科医院の事務長のようですが?

田*輝宏氏は、佐野氏の外科医院の事務長をやめたんですよ。

このツクシフル1というインチキワクチンを広めるために、新しい肩書きガン遺伝子治療研究機関グ*ーンライフスター本部事務局事務局長と名乗っていました。
現在は、その名刺の電話番号も通じないですから、もうやっていないんじゃないですか?

でも、中国人女性は別の医師と組んでやっているみたいです。

皆さん、この詐欺ワクチンに引っ掛からないように、気を付けてください。

http://www.gankeijiban.com/bbs/read.cgi?bbs=ryouhou&key=999438346&st=166&to=166&nofirst=true

そういえば住所は同じだったよな。
看板を変えたのか・・・
------------------------------------------

636 名前: しょうじ 投稿日:2009/08/13(木) 20:08
少しずつかもしれないけれど、元気を取り戻してください。
そして、この経験で得たやさしさなどの気持ち、大事にしてください。
僕も、そうします。

637 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2010/09/25(土) 14:44
テスト

638 名前: まさし 投稿日:2011/02/14(月) 00:27
はじめまして今おかんが膵臓がん末期でいつ死んでもおかしない状態ですいつもが辛いですおかんの顔見るのが辛く悲しいです。

639 名前: よっこ 投稿日:2011/02/15(火) 10:26
・發Α⇒茲覆・椴匹・餘覆・覆い辰董△匹Δ靴動イ靴・董・譴靴・-"-;)どうすれば良いですか?

640 名前: ゆり 投稿日:2011/03/06(日) 22:45
母親が肝臓ガン末期で余命1ヶ月です。日に日に腹水や手足の浮腫がひどく、痛みどめで激痛を押さえています。最近、意識がもうろうとして、つじつまが合わない話をしたり、すぐに怒ったりします。どういう状態なんでしょうか 鴫聴Δ修Δ芭泙・遒譴道澆泙蠅泙擦・???
wb45proxy10.ezweb.ne.jp_KDDI-KC3Z UP.Browser/6.2.0.16.1 (GUI) MMP/2.0_07002100149870_mf.ezweb.ne.jp

641 名前: ぴん 投稿日:2011/06/10(金) 15:24
このサイトを読んで、涙が止まりませんでした。
みなさんご本人もご家族も本当に頑張ってるって…
アタシも怖がっている場合じゃないって思いました。
父は、肝臓がんの末期で、腹水がたまり、衰弱して、先週から何も食べれていません。
父は、12年ほどまえに、C型肝炎から肝硬変になり肝臓がんになりました。
エタノール治療というのをして、7年ぐらい再発しなかったのですが、
また再発してしまったので、入院してまたエタノール治療をしました。
10日ほどで、退院でき、その後も何度か入院してエタノール治療をしました。、
主治医から進行しているとは全く聞かされておらず、入院のたびに2週間ほどで、退院できれいたので、
そのたびに、とりあえずは消滅しているのだとおもっていました。
しかし、段々おなかに腹水がたまりだし、おかしいと思いました。
5月14日に腹水で入院しました。
その日、急に主治医から、末期の肝臓がんで、残念ながら、つぶしても追いつかず、もうてのほどこしようがないといわれました。
年単位の生存は難しいとのこと、???なぜもっと早く教えてくれなかったのか!はがゆいばかりでした。
入院して利尿剤をのんでもなかなか腹水がひかず、はりでぬきましたが、そのころから、
段々週ごとに衰弱し、意識ももうろうとして、もう先週からなにも食べれないじょうたいです。
そこで主治医は週ごとに悪くなっているので、年どころか月単位の余命といいだしました。
そして、個室を考えた方がいいといわれました。
許す限りのほとんどの時間ネットでなにかいい方法はないかと探す毎日です。
食べれないので、なかなかむずかしいですが、ネットでみつけたり友達が教えてくれた、お灸やそばパスタなるものを試してみようかと思っています。
母がかなり精神的に病んできているので、それも心配ですが、
仕事があり、土日しかいけないのがはがゆいです。
仕事をやめて、ずっといてあげたいと思ったりもしますが、
子供が大学受験ですので、経済的にそうもいかず…
明日は土曜なので、あきらめずアタシにできるかぎりのことしてきます。

642 名前: ともこ 投稿日:2011/08/18(木) 15:29
わたくしの父も、先月肺癌から、肝臓、膀胱、骨、に転移し、
入院していた病院から、みはなされ、自宅で訪問介護をしながら、高濃度ビタミンCの
点滴に3度通ったじてんで、力尽き亡くなりました。
訪問看護を受けながらですが、自分自身の無知をせめております。飲まず食わずで
4日間点滴500mm…生きていけない量らしいです。本当にかわいそうなことを、したと
悔んでいます。しかし、痛みがなく、最後は眠るように亡くなり、それだけが、救いでしょうか…

643 名前: <削除> 投稿日:2011/08/22(月) 04:14
<削除>

644 名前: <削除> 投稿日:2011/08/22(月) 04:14
<削除>

645 名前: ひろ 投稿日:2011/10/18(火) 15:12
はじめまして。
母が亡くなり一年と2ヶ月。肝臓ガン 71才になる前でした。亡くなる前余命半年。まさか自分がこんな立場に。
10年のうち五年は入退院 毎回私は気力とともに母を励まし…ケンカしながら付き添いを。

亡くなるまでの事は思い出したくないですが~ 壮絶な戦いでした。
苦しい思いした本人はもっとつらかったでしょう。生きたいと行ってましたから。
老後少しは楽しい事できるはずが病いに明け暮れ。私は何もできなかった。毎日供養の日々です。
母に会いたい。

こんな病気増えないようにと願う日々です。

良い母でした。

646 名前: まさ 投稿日:2011/11/09(水) 00:29
今、親父が末期癌で 余命1週間と言われております。私は病院のベッド横のソファーで何も出来ずに ただ居るだけです。 病状は末期癌そのもので意識はもう無く 看護師が2時間に1回きて便などモルヒネの機械など見てます!!昔、親父に良く叱られた事を今でも思い出してしまいます。

647 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2011/11/09(水) 02:29
まささん。
お辛い状況ですね。
私も経験してますが、自分はいったい何を待っているのか?
と思ったりと、心も体も疲れ果てます。

まささんは、おいくつでしょうか。
つらいことですが「その時」に備えて準備をすすめてください。
段取り良くお父様が旅たてるように、旅たった後の手配もです。
私は、意識があるとは思えない母に独り言のように話しかけました。
「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」 何度も言いました。

辛いですが、こらえて気丈に。

648 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2011/11/09(水) 18:38
まささん。しっかり!

649 名前: めい 投稿日:2011/11/11(金) 19:43
はじめまして。
私の母は乳癌で治療をしてきましたが今は末期で介護度5を申請中です。
私は16の時に父を亡くし、母がここまで一人で育ててくれた事に感謝しています。
母の最期を自宅で看取るつもりでいました。
しかし、この不況で私も生活の為に働いています。
そして二人の子どものうち下の子が自閉症という障がいをかかえ、
療育や小学校準備の為に今とても時間がない状態です。
ケアマネージャーさんとお話し、自宅に一人おいておくことは難しい状態。
少人数制のデイサービスを紹介されました。
しかしそこでは今の母を介護すること自体を拒否されているような気がしています。
自宅にいつ連れて帰るかと何度も聞かれます。
今は母食事もほとんど摂れず、点滴を1日おきにしています。
まだ1週間も経っていないのに…。
今仕事を辞めたら息子の事もあるし就職は難しいでしょう。

母の為に仕事を辞めて自宅で介護をしていくしかないのでしょうか…。
私には妹がいますが妹も大手術を2度していて又いつ発症するかわからない状態で
ストレスをかけたくありません。
私しか母を介護する人間はいないのです。
やはり、入院しかないでしょうか…。

650 名前: じゅび 投稿日:2011/11/30(水) 02:32
はじめまして!
3月に、肝臓ガンで60歳の母を亡くした娘です。
私も半年間家で、仕事に行きながら介護しました、あの頃は腹がたって、何で自分ばっかりこんなにしんどいの?って、母にも辛くあたりました。母は最後まで凛とした女性でした。車椅子の女の人を街で見かけると、涙が溢れます、お母さんに会いたい、もっと一緒に生きたかった!お母さんに会いたいです

651 名前: ひのき 投稿日:2011/11/30(水) 15:42
初めまして。
状況が似てるので、まったく頼りにならないですが
お返事書かせてもらいます。

私も現在、大腸がんステージ4の義母の
面倒を見ています。

義母は一人暮らしですが、近くには
私しか面倒を見られる人はいません。

私も仕事を始めようと思っていた矢先だったので
仕事にはついていませんが、本当なら
働かなくてはならない経済状況です。

そして、我が家にも高機能自閉症の子がおり
2年間の不登校や現在でも登校しぶりを
乗り越えながら育児しています。

本当なら我が家に義母に来てもらうのが一番いいんだろうけど
この自閉症の子と相性が悪く、義母がくると
パニックがとても多くなり、学校へ行くのすら
難しくなってしまうのです。

なので、子供の学校の事を一番に考えると
同居はとてもできそうにありません。

かと言って、義母がいつまでも自炊できるとは
思えないし、最後は入院してもらうしか・・・と
思うのですが、そんな状況で入院させてくれる
病院が果たしてあるのか、不安です。

先の事を考えると頭が痛いですが、
その時はその時とわりと楽観的に
考えています。

看病疲れで体を壊さないように
お互いに頑張りましょう。

652 名前: ひのき 投稿日:2011/11/30(水) 15:44
宛先を忘れてました。(^^;)

めいさんへ

653 名前: いえいたん 投稿日:2011/12/07(水) 21:42
やっとこの板につきました。母は乳がんからの転移の肝臓がんの末期です。抗がん剤のせいで心臓に水が溜まり、死にかけました。その後ペースメーカーをつけ、心臓の治療優先で、がん治療ができなくなりました。それから3ヶ月で、あつというまにがんが肝臓に広がりました。何も
なすすべなく入院しています。3週間前に年内もたないかもしれないと言われています。おうだんが出てきました、尿がでなくなりました。食事はできなくなりました。毎日母の見舞いに行けず、行っても役に立ちません。なす術なく歯がゆい毎日です。また、看護婦さんに感謝しています。抗ガン剤の名前が
わかりませんが、心臓に影響を及ぼすのを2度もうたれたのでこんなことになりました。他のかたにこんな目にあってほしくありません。調べておきます。

654 名前: ちい 投稿日:2012/01/07(土) 23:07
父は10年以上前に胃がんの手術をしています。
その後も経過観察で病院通いは週一程度していました。
年が明けて、いよいよ2012年も仕事始めという時にグッと調子が悪くなったみたいで、5日から入院をしています。
その日に母が呼ばれ、余命2~3ヶ月もっと早いかもしれないと言われてきました。
今日私も弟と一緒に病院に行きましたが、やはり元気も無く疲れてる感じでした。
胃がんからの再発という形だそうで、転移は2年前に見つかっていたという事でした。
腹水が溜まっており、それを抜き、栄養を点滴で入れるという事を今はしているそうです。
父には真実を告知出来ていません。
病院側は告知は家族でどうするか決めてくれと言っています。
言って、残りの人生を好きな様に過ごしてもらいたいし、遣り残した事言いたい事などを自由にやってもらいたいです。
だけど言ったことによって父への極度な心労をかけて大丈夫なものなのか決めに決めきれずいます。
残り少ない事を告知され、何をどうしたらいいのか、満足いく最期の為、自分や家族が何をしたらいいのか、
わからず母も私も弟も空元気にただ過ごしてしまっている状態です。
余命を通告され、もう成すすべが無い、病院に行っても起きてるのが疲れてしまう様で、すぐもう帰っていいよと言われてしまいます。
父にはいつも反抗的な態度をとって、ろくに話もせずこの10数年間過ごしてきてしまいました。
胃がんになって再発など色んな不安があった時期に娘の反抗と余計なストレスを与えてしまった事、もっと家族として父を尊重しておけば
と後悔ばかりです。
こうなってから後悔なんかして、本当に親不孝な人間です。
今はまだ比較的安定していますが、これからの事が心配です。

655 名前: せん 投稿日:2012/02/21(火) 03:42
みなさんそれぞれ、他人には到底わからないつらいことがあるんだと、この掲示板で痛感しました。  
私は、去年の12月初旬に母を子宮頸がんで亡くしました。45歳でした。  
去年1月、不正出血で近所のクリニックを受診してがんセンターを紹介され、ステージⅠb2の子宮頸がんと診断され治療は手術のみでよいということで  
、手術して1か月で退院、その後定期健診を受けていました。同年6月にCT検査施行も異常なかったのですが、8月の腫瘍マーカー検査で上昇がみられ、  
9月に受診し、肝臓に7センチの転移巣が認められました。肝切除を検討しましたが、手術を待つ間にもガンは大きくなり、入院前の  
検査でもはや手術は危険ということを言われ、母は一切の積極的治療を断り、いよいよという時までは自宅で過ごしたいと言い切りました。この時点で医者から言われた余命は半年~一年でした。告知後しばらくは親子2人して、  
毎日どん底にいるように過ごしていました。ケンカもしました。告知から約2ヵ月、やっと立ち直りかけていた矢先、いきなり症状が出て、日に日に衰弱し、告知から2ヵ月で入院になりました。入院当日、先生から、「娘さんに色々書いてもらう書類があるから」  
と、母だけ先に診察室から看護師さんと出ていきました。嫌な予感がしました。  
先生は、その日撮ったCT画像を見ながら、私に言いにくそうに、「…今月(11月)末まで持たないかもしれない」と言われました。一瞬訳が分からずポカンとしましたが、  
次の瞬間目からドッと涙があふれたのを覚えています。26年間一緒に生きてきた母が、あと2週間でいなくなるというのです。  
次の日から、私は毎日病院に泊まり込んで母の側についていました。  
眠っていることが多かったのですが、起きている時は痛みに耐え、看護師さんにも迷惑はかけませんでした。私が心配の余りナースコールを押して、逆に「そんなことしなくていい」  
と、怒られたことすらありました。母は、どんなに痛み止めの麻薬が増えてもギリギリまで意識レベルを保ち、持続モルヒネをしたまま、「買いたいものがある」と言ってきかず、  
亡くなる4日前に、街に買い物に出て(むろん付添はしましたが)私をビックリさせました。のちに、私に遺すための指輪を買っていたことを知り、胸が熱くなりました。  
そして、先生の宣告より約1週間も頑張り、最後は私たち親族に看取られ、眠ったまま、息を引き取りました。  
たった2か月でしたが、母は壮絶な苦しみだったと思います。そのなかでも、計り知れないものを、私に遺してくれました。  
がん患者の家族は、皆さんのように、苦しいものです。でもそのなかでも、患者本人が支えになることって、たくさんありますよね。  
正直、大切な人を失った悲しみから完全に立ち直るのは、難しいでしょう。でも、そのことを思い出すとき、何か思わず笑顔になれるようなことを思い出せるとしたら、それは  
本人が遺してくれた、素晴らしい贈り物だと私は思いたいです。  
言葉が足らず、誤解を招くような発言があったら本当にすみません。読んでくれてありがとうございました。

656 名前: アキ 投稿日:2012/03/09(金) 06:25
最近この掲示板に辿り着き、このスレを1から読ませて頂いてます。
涙が止まりません。

私の母(57)は4年前に乳癌で左胸を全摘し、1年半前に再発(首のリンパ付近と肝転移)致しました。
そして先月の後半に別件で入院した時に、心配で東京から来ていた母の姉と私だけが主治医に呼ばれ…『もう治療の余地がなく、今年もつかもたないか…』と余命宣告されました。

母の姉も私も、まだ治療を頑張ろうとしている母にそれを伝えることなど出来ず…主治医に『今の治療が終わってから次の抗がん剤ですね。1mmでも小さくなってくれたらいいので…先生お願いしますね』と言う母を見てグッと涙を堪えることしか出来ませんでした。

日に日に食欲がなくなり身体が痩せ細っていく姿を見、そんな自分の身体や具合の悪さ・痛みに恐怖と不安を感じているだろう母の気持ちを考えると…胸が張り裂けそうです。
私が生まれてから32年、いて当たり前の母がいなくなるなんて考えられないし物凄く怖いです。

彼氏や数少ない友人や身内にも強がってしまう私がいて、この恐怖心や不安を吐き出せないでいます。心労も半端ないです。

ただただ辛いです…。

657 名前: せん 投稿日:2012/03/11(日) 23:53
アキさん。
お辛いでしょうね。よく分かるつもりです・・・。アキさんは失礼ですがお父さんはいらっしゃるんでしょうか。
年上の方に申し上げてよいのか悩みましたが、強がってしまっては危険です。いま、アキさんはお母さんのために精一杯
頑張っていて、心身ともに疲れているのに、お母さんを想うがための気力で踏ん張っているのではないですか。正直、お母さんは
奇跡が起こらない限り、旅立っていかれるんですよね。なら、もしそうなってしまった時、張りつめていた気力をなくしたアキさん、
あなたはどうなりますか。きっと壊れてしまうでしょう。私もそうでした。母がいよいよあと今日明日、という状況になった時、
先生や叔母に「私は大丈夫」と言い続けて、叔母に同じような事を言われました。だから、母が旅立って一人になり、辛くてしょうが
ない時に話した親友には思ったことをそのまま言いました。「死にたい」と。それだけで、ずいぶん楽になりました。
アキさんには、心配する友人さんや恋人さんがいるでしょう。強がるのは、その人達に心配かけたくない、と、その人達を大切に
思うから、という理由もあるでしょう。それなら、もしお母さんが旅立ってしまっても、その大切に思う人達のためにアキさんは生きて
いかなければいけないんです。その為には、甘えられる時は素直に甘えて、わずかでも心労を減らして置いた方がよいのでは、と思います。
どうか頑張りすぎないで下さい。

658 名前: ひろ 投稿日:2012/03/12(月) 19:13
久しぶり覗きました…
皆様の読まして頂き涙 未だ一年半 私は思い出してばかりで…
せんさん 私はあなたのお母さんと同じ年できっと私の娘と同じとしぐらいかなと しっかりしてるなとそして辛かっただらうと。ごめんなさいね。何か同じ気持で読まして頂きました。
お母さんの分も幸せになってくださいね。
ここの皆様も。

悲しみの方がまだ沢山過ぎて思い出すたび涙です。自分自身が弱ったようでいつになったらいつもの自分に戻れるかわからないけど時間をかけいつか笑顔でお墓の前 で話せたら良いかなと。

涙は浄化ときいたけど笑顔で浄化したいです。

あきさんとせんさんのコメントの間に入りごめんなさい。

659 名前: miki 投稿日:2012/04/17(火) 23:51
吐かせてください。

去年末、57歳の父が末期肝臓がん、余命1カ月を宣告されました。
母はすぐ仕事を辞め、つきっきりで看ることに。
腹水を抜くだけで、もう手術もできない、手の施しようがない、抗がん剤も使えないと言われ、母と絶望し泣く毎日でした。
しかし、父はご飯もよく食べ、トイレもよく行き、何なら仕事に行こうとするほどで。
医師が、抗がん剤を打ってくれました。一時食欲はなくなったけど、癌マーカーの数値は少しよくなりました。
月1で抗がん剤を打ち、そのたびに数値を見て一喜一憂していました。
しかし癌マーカーの数値は良好なのに、腹水は3日に1度抜いて貰わないといけないっていうペースでたまっていく…。
医師には「癌でというより肝不全でだめかもしれない」と言われていました。
イチかバチかで、感染症の恐れもあるけど…とデンバーシャントをすすめられ、今月9日に受けました。
感染症もなく、血圧は少し低いけど、厳しいことばかり言っていた医師が「夏までは生かすから」と約束してくれたと父がうれしそうに話しました。
実は…6月に初孫が生まれます。父はそれが楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
デンバーシャント後2週間様子見して退院して、また月末抗がん剤の予定でした。
その3日後、父はこん睡状態に陥りました。シャントは成功したのに、肝不全です。
目も顔も横たんが出ています。ときどき意識が戻り会話はできますが、ご飯は食べれず、水もろくに欲しがりません。
カリウムが高いとか、尿の糖度が高いとか、ここにきて沢山のことが…。

父は今も意識朦朧とした状態です。
会社の方に連絡を、と思い、携帯を見ると、保存メールが。
父が、シャントの前の日に、母と娘宛てに遺書を書いていました。
辛くて、辛くて、父はもう覚悟をしていると。
「孫の顔が見たいけど…涙がとまらない」と。気丈で優しい父が。

もう頑張らなくてもいいよって思っています。
痛くなければ。苦しくなければ。

でも、お父さんがいなくなるのは辛い。寂しい…。
57歳は早いよ。孫は見ないの?
頑張れって言えません。

すみません、吐きださずにはいられませんでした。
もう長くないのは症状からわかっています。
お父さんありがとう。愛してる。

660 名前: miki 投稿日:2012/04/25(水) 02:23
>>659です

4月21日、父は天国へ旅立ちました。
母と、私たち娘3人、父の姉2人。。。
家族全員に見守られながら。
最期に、血圧も上が50を切り、心拍数も50を切った時、
意識がほぼなかった父が、頭を持ち上げ
目をあけて何か言ってくれました。
そして目を瞑ってかえらぬ人に。

ありがとうって言われた気がして。
後悔なく看取れてよかったです。
腐るほど泣いたわ。
お父さんお疲れ様。

661 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2012/05/07(月) 23:26
母が昨年の9月から10月ごろから腹痛をうったえ、今年の1月ごろに
すい臓がんが見つかりました。朝、空腹や急にお腹に食べ物が入ると痛くなるので、
ヨーグルトを食べてから軽く朝食をとるなど、、、みたいな感じでした。


私はまだ子供なので家族は何も教えてくれません。

ただ、母は手術せず、抗がん剤だけのようです。
それだと、調べたら余命はだいたい6か月弱程度と書かれていました。

でも、ほんとうなのか知りたくて、ここに書かせていただきました。

母の余命はどれくらい何でしょうか?
すい臓がんに効く薬はなんでしょうか?

教えてください。

662 名前: hiro 投稿日:2012/05/13(日) 01:09
母が肝臓がん末期で膵臓もやられてしまっています。
胆管が閉塞し全身に黄疸が出ています。
ゴールデンウィークまでの余命と主治医に言われていますが、本人は知りません。
病院への入院もしましたが、
治療不可ですし、かといって緩和ケアもしてくれないため、
今は自宅に戻っています。
在宅ホスピス、ですね。
往診、訪看、介護ヘルパーの助けを得て、
一日一日、母を看護しています。
一人で看取らなければならないのは覚悟の上ですが、
日に日に弱っていくのを見るのはつらいものです。

余命宣告の期日を既に過ぎていますが、
バイタルは安定し、
デュロテップMTパッチ4.2mgとレンドルミン服用で
ほとんど眠っているか意識混濁状態です。
羽ばたき振戦、せん妄による意味不明発言もあります。
「その日」に確実に向かっているのだと思います。

一人で看護しつつ、看取らなければならないので、
覚悟はしていても心細いものです。
なので書き込みしてしまいました。

これから肝性脳症や昏睡、といった過程を経ていくことになるのでしょう・・・


663 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2012/05/13(日) 15:30
>>662

>治療不可ですし、かといって緩和ケアもしてくれないため

往診は在宅緩和ケアの専門医に来てもらっているのでしょうか?
日本は緩和ケア医療後進国です。
いや、緩和ケアだけでないかも知れない。
つらい母の日でしょうが、病院で冷淡な他人に囲まれて死ぬよりは自宅で死ぬ方が本人にとっては幸せと考えるしかないでしょう。


664 名前: hiro 投稿日:2012/05/16(水) 09:04
>>663

往診医師も訪問看護師もどちらも専門ではありませんが、
緩和ケアの経験と知識、そしてなによりも理解があります。
「日本は緩和ケア医療後進国」なのですか?
よくは知らないのですが、
でも介護保険を含めた保険とケアマネージャーを中心とする
システム体制に助けられています。
高齢社会である日本、
これからも福祉の面で整えられていくことを望みます。

665 名前: hiro 投稿日:2012/05/19(土) 04:28
昨晩、看取ることができました。
皆さんの書き込みは励みとなる情報でした。

666 名前: 熊子 投稿日:2013/06/24(月) 04:14
私の母も余命3ヶ月と先週先生からお聞きし今週千葉から福島の、自宅で介護します不安です

667 名前: ミナ 投稿日:2016/06/07(火) 20:30
父親が肝細胞ガンで、高熱と便秘で意識も朦朧としており、動くことさえできず、救急搬送され、肝性脳症と診断されました。今は、落ち着き、誰が行ってもわかるレベルになりました。入院予定が一ヶ月と言われていましたが、ふらつきもあり、看護婦さんの付き添いが必要になりました。ふらつきもあり、肝臓も悪くなってきているので、父親は家に帰りたいと言っていますが、ふらつきもあり、付き添いがいるため、退院の見込みはないとの事。母親も仕事をしていないと収入もない為看病は、できない状態。今後、施設に入るか家で看病するのか、検討しなくては行けない。一層の事、娘の私が何とか出来るものなら、父親を安全な場所で医療施設に入るか迷っています。仕事をしていても父親の事が心配で仕事に集中できない。

668 名前: ミナ 投稿日:2016/06/07(火) 20:34
父親が肝細胞ガンで、五月に高熱と便秘で意識も朦朧としており、経つことさえできず、救急車搬送され、肝性脳症と診断されました。今は、落ち着き、誰が行ってもわかるレベルになりました。入院予定が一ヶ月と言われていましたが、ふらつきもあり、看護婦さんの付き添いが必要になりました。ふらつきもあり、肝臓も悪くなってきているので、父親は家に帰りたいと言っていますが、ふらつきもあり、付き添いがいるため、退院の見込みはないとの事。母親も仕事をしていないと収入もない為看病は、できない状態。今後、施設に入るか家で看病するのか、検討しなくては行けない。一層の事、娘の私が何とか出来るものなら、医療施設に入り様子を見に行くか迷っています。

669 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2017/02/24(金) 22:21
私の父は腹水が出来苦しくて病院に行った結果肝臓癌が分かりました。1カ月ちょいで亡くなりました。名の知れた大学病院の最悪な処置嘘の嘘重ね本当に憎みます。違う患者の薬を出すわ。入院費間違えるわ。体きついのに遠いトイレでの尿検査させるわ。お風呂入りたいと言ったのに忘れるわ。末期の癌だったのに、言わなかったし。恨みますよ



 新着レスの表示  TOPへ
18歳未満利用禁止
名前 : E-mail(省略可) :

U-tec.co.jp広告出稿(C) タカヒロ@みちのく掲示板 [12ch BBS 3.00]