がんの早期発見に威力を発揮【PET検査】

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癌掲示板..>末期肝臓がん患者 家族の立場から

1 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/06(木) 08:06
治療のすべのない母を半年間自宅で介護していましたが、先日葬儀を
終えました。
別スレで意見交換していましたが、テーマからずれてきましたので、
こちらに新スレを作りました。
家族の立場からいろいろ意見交換できれば・・と思います。
別スレからの続きになりますので、わかりにくい点あるかもしれません。
肝臓がんの治療は・・・をご参考ください。

何から書いたらいいのかわかりませんが、この一ヶ月、もうだめかもしれない
という思いを何回も繰り返しながらも復活し、でも、少しずつ衰えていきました。
意識レベルがさがり、問いかけには何かを答えようとするのですが、言葉がでて
こなくなったり、混乱したり、水を飲めなくなったり・・。
ただ、最後まで本人は諦めることなく、努力の人でした。
本人のつらさがなくなるのなら病院に・・との思いでしたが、病院での処置と
自宅で過ごすことを天秤にかけながら、迷いながら、結局は最後まで自宅で
過ごしました。迷い続けた日々でしたが、今はベストだったと思っています。
最後の半日は、特に最後の一時間ぐらいは本人もきつかったと思います。
私は、自宅での家族の世話で、最後の瞬間は立ち会うことができませんでし
たが、父と叔母二人に見守ってもらいながらの旅立ちでした。

母とは生き方が違い、つらくあたった時期もありました。
ただ、いよいよ状態が悪くなっての半年で、母の介護をさせてもらえることで
今までの親不孝を少しでも償えるよう時間を作ってもらえたように
思います。
自分のためというよりも、家族のためにがんばってくれた母に本当に感謝しています。
また、介護の時間の中では、母の気持ちを尊重するあまり、とにかく父とぶつかりま
したが、母が亡くなるときにいろいろな思いも持っていってくれたようで、不思議
と父に対する気持ちもすーっと楽になったようにも思います。
改めてすごい人だと思います。

家族皆、悲しいというよりも、家族のために頑張りすぎるほど頑張った母に
やっと楽になれてよかったね・・という気持ちのほうが大きいです。
みな極限の状態でしたので、今日は少し体を休めて、また歩きだそうと
思います。

多分別スレからお付き合いいただいている方々も多いと思います。
うれしいお知らせも、心強い支えも、私の励みでした。
本当にありがとうございます。

また、新しくご覧になった方々へ。
決して決まったメンバーでの閉鎖的なスレッドではありません。
同じ立場を共有するものとして、体験したものしかわからないこと、
また情報があります。
少なくとも私は、とてもつらい状態のときに、そういうスレッドを
探していました。お互い支えあって、大切な家族が少しでも幸せな
状態が続くように心を尽くしましょう。
そういう祈りをこめて・・・・。


2 名前: 富ママ 投稿日:2006/04/06(木) 22:13
ばばのしんさん。
新しいページ有難う。そして本当にお疲れ様でした。
最高の家族との触れ合いが出来たようで亡くなられたのは本当に淋しい事ですがそれなりの介護が出来た事は良かったと思っています。
忙しい中 そして御心労の中書き込みありがとう。
最後は 一緒にいることができなかったんだ~
でも自宅で最後まで、素晴らしいです。私の父も病院で最後の一時間は
寝返りしたりうなったり すごい動きをしました。手を握り締め柵にぶつけない様に~それだけでした。
お母さんきっと今年の桜を見てくれましたよね~~~
ご冥福をお祈りいたします。 落ち着いたらまた書き込みしてくださいね。
そして私も今個人的に名前を呼びましたが 皆さんのページです。
辛い時はどうぞこちらでお話ください。
  疲れが出て皆様寝込まないように。  ご挨拶まで。

3 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/09(日) 14:03
富ママさん、お久しぶりです。
今日は母の代わりにお花見に行ってきました。
結局、母はお花見はできないままでした。(というか、お花見をしたかった
ことも最後は忘れてしまっていました。)でも、母の思いからサクラ模様の
骨壷、遺影もサクラの着物、戒名も偶然なのですが、サクラの文字をいれていだ
だき、サクラづくしの見送りになりました。

最後のほうは家族も極限の状態だったので、葬儀が終わったとたん皆寝込む中
私は一人元気にしています。多分、図太いのでしょう・・。
葬儀から時間をおくにつれ、いろいろと考え込むことも増えてきてしまいますね。

最後に立ち会えなかったのは、とても残念なのですが、関係が良好だったとは
いえない父と母が最後にしっかり気持ちを通わすことができたようで、その点では
とても良かったと思います。
また、状態がずっと悪かったので、母のそばを離れるときはいつも、「これが最後の
別れだ」と思い離れていたせいもあるかもしれませんね。
あとは、父をどう支えていくかが課題です。



4 名前: 210 投稿日:2006/04/09(日) 22:22
その別スレの210番として発言していた者です。お久しぶりです。

ずっとご指摘いただいてから、しばらくは該当スレには顔出さないつもりで(ご指摘はごもっともだと思ってます。タイトルからして、治療の内容を話しあう場でしたから)、自分が立ち直る意味でも、しばらくこの掲示板も覗かないつもりでした… 
が、またつい覗いてしまった所、とてもショックな書き込みを見つけ…。

ばばのしんさん、大変でしたね、お母さまのご冥福をお祈りします。
先に旦那を亡くした者としても、すごく心中お察しします。

今は亡き方の残した事や物、1つ1つ眺めては、想いに浸り涙する日々だと思います。

私も今だに亡き人の想いを引きずったまま、亡くした日からたいして立ち直ってないです…

ただ、今は生きてる者が大切です。

ばばのしんさんも、残されたお父様の支えになって、お互い亡き人の分までせいいっぱい生きましょうね!!

忘れようとした頃に、旦那が書いたどうでもいいメモとかが出てきたりします。
なかなか気にしないようにしても、そうはいかないものです。

だから今はトコトン思い出に浸る時なんだと、開き直っています。





5 名前: 210 投稿日:2006/04/09(日) 22:32
先日母に、10年以上前に肝臓転移で亡くなった父の話を聞きました。

当時学生だった私は、父の死から目を背けてばかりいましたが、旦那を亡くしてようやく、父の死と向かい合ったと思います。

母は今だに、余命1ヶ月を宣告された父に、抗がん剤を使うべきだったのか… 疑問に思ってるようでした。

ただ医師から、抗がん剤を使うかどうかを聞かれ、助かる見込みがなくても諦められず、使う事をお願いするしかなかった…と言います。

だって、みすみす「死」を認めるなんて、YESとは言えないじゃないですか。

それでも今では、治る見込みもなかったものに、わざわざ苦しめるような事をしてしまったのでは…と、ずっと気にしています。

旦那は逆で、苦しめると予想される延命治療を選択しませんでした。

父と違い、最後は本当あっけなく、遺族としても苦しむ辛い姿を見ずに、穏やかになくなったと思います。

どちらがいいのか、どちらにしても、残された家族は一生自分に問い続けていくんでしょうね。

両方の立場にたった私でも、どちらが正しいのかは今だにわかりません。

難しいですね…

6 名前: はる 投稿日:2006/04/09(日) 23:25
ばばのしんさん お久しぶりです。
別スレで発言していたはるです。

ばばのしんさん 本当にお疲れ様でした。
お母さまのご冥福を祈ります。
最後に立ち会えなかったとしても、ばばのしんさんのお母さまに対する気持ち
いっぱい、いっぱいお母さまに伝わってると思います。
きっと天国で喜んでいらっしゃるでしょう。
これからは違った意味で大変なこともあると思いますが、陰ながら応援しています。

ばばのしんさん 大変の中、新レスをたちあげて頂きありがとうございます。
確かに前のスレでは、場違いだったかもしれません
自分の気持ちを救いたくて、甘えていました・・
家族の立場として、こちらに参加していきたいと思います
どうぞ よろしくお願いします
 
210さん 抗がん剤については難しい選択ですね
私の父は余命3ヶ月から6ヶ月といわれ今抗がん剤を使用してます
日に日に体力はおちていますが・・
父自身は進行をとめていると思い、飲まないと癌がすすんでいってしまうと
思っています。抗がん剤のせいで体力が落ちていっていることも
少しづつ自覚しながら、毎日を過ごしています。

父も母も余命を知りません。なので抗がん剤さまさまなのです
余命を知らされた私達は本当にこれでいいのかと、自問自答ですが・・
これは210さんのかかれたとうり、一生つづいていくものなのでしょうね・・

でも今の状況で抗がん剤を飲む事を止めることはできないな・・
飲む事をやめる=末期と父や母に知らせるようなものだから・・
いろいろ考えてしまうけど・・頑張らなくてはね

みなさんもいろんな意味で頑張ってらっしゃる
とてもとても励まされます。

 




7 名前: 富ママ 投稿日:2006/04/10(月) 21:09
あっと言う間に認知症になった母。
通帳は誰が持ってる?今日はお客さんが来る。そんなもの買ってない。
薬は飲んだ。などなど 毎日ちぐはぐ。後見人の手続き中です。
それほど大切な人を亡くしてしまうとは大変なことなんです。
と 母の気持ちになり書き込みしました。

8 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/11(火) 08:37
いろいろな選択は迷いの連続ですね。
患者本人が自分で決めれる場合はいいのですが、家族が「本人はこう思うのでは・・」
と気持ちを推し量る場合、私はずっと迷っていました。自分ひとりでは決めれない
時には家族の意見を聞いて決断していましたが、それでも迷いがいっぱいでした。
どう決断したにしろ、母をまず第一に考えた決断であること、そのことを母は理解
してくれていたのでは・・と思います。というか、思いたいですね。

でもきっと210さんのお母様のように、何年たってもずっと迷うんでしょうね。
いつか、母に会えたときに母の気持ちが聞けるかな・・。

はるさん、余命なんてやっぱりわからないと思いました。
どうか、自信を持って立ち向かってください。ある意味、癌である人を看取る
ということは、家族にとってありがたいことなのかもしれません。
そのときにできる精一杯をすることができます。
母を介護する中で、人間にはやっぱり「気」があるような気がしました。
本人の頑張ろうとする「気」。家族の強い「気」。これで幸せな時間は続くような
気がしています。

(210さんが言っていた気持ちがいまわかる気がしています。
今戦っている人を応援する気持ち。それって当時の自分を応援する気持ちなんですね。
ほんと実感しています。)

富ママさん。
我が家も父のことが気になります。同じような状態になりそうな気が・・。
今はひたすら混乱しています。


9 名前: 210 投稿日:2006/04/11(火) 13:15
ばばのしんさん、富ママさん、残されたお父様お母様が本当心配ですね。

大切な人を亡くすという事は、人間が受ける様々なストレスの中で「100%」という数値だそうです。

ものすごいストレスと戦うのは、年を負う事に厳しくなります。(私も旦那を亡くして、しばらくは欝に近い状態になりました…
が、父の時は私も若かった分、今ほどではなかったような…)

父を亡くし、母もストレスから顔面神経痛みたくなり、そのため片目が見えにくくなってます。
MRIやらCTやらとっても原因がなく、おそらくストレスからだろうと…

すごい心の葛藤があるんですよね……若い私たちが支えてあげなきゃですね。

癌という病気との戦いは、本人が亡くなって終わる物ではなく、一生家族が心の中で戦っていくものなんでしょうね…

10 名前: 210 投稿日:2006/04/11(火) 13:28
ばばのしんさんのおっしゃる、余命は予測がつかない、は、まさにその通りだと思います。

そういえば、先日亡くなってしまいましたが、絵門ゆう子さんは、乳癌の全身転移でしたが、それでも4年近く生きていらっしゃいました。

そして、自ら癌についての講演会や、新聞のコラムを書き続けてました。
私の友達が5ヶ月位前に講演会を見に行った時も、すごい力強い話っぷりで、握手してもすごく力強く、とても癌には見えない位だったと…

やはり気力の部分も大きいって思いました。
普通あそこまで生きるなんて、想像もつかないですよね…

ウチの旦那も骨転移で、似たような状態だったので、絵門さんの本を読んだりして、すごく励まされました。
ある意味、絵門さん位まで生きる事は可能なんだと…

実際はそこまでダメだったけど、本人の気力で生きる事は可能なんですよ!!

だからはるさんのお父様が余命も知らず、抗がん剤を信じていらっしゃるのも、ある意味「気力」の面で必要だと私は思います。

私の旦那も告知しなかった口なんで、最後まで「薬」が自分を治してくれる大切な物って信じてましたからね。

どんなに眠気や幻覚があっても、薬の時間だけは起きるのが、一種の「安心」だったみたいです。

11 名前: はこ 投稿日:2006/04/11(火) 20:27
こんばんは、初めて書き込みさせていただきます。
私の父はC型肝炎から肝硬変、肝細胞ガンとなり先月3度目の
動脈塞栓術(TAE)を受けました。その後主治医からの説
明で父のガンは悪性度が高いこと、境界線のハッキリしない
治療のしにくいガンでアルコール注入ができないことを聞い
た上で余命6ヵ月の宣告を受けました。
両親は古いタイプの人間なのでガンと言われたらもう終わり
だと思っています。ですから私と弟はガンが出来やすいから
そうならない前に処置をするのだと説明してきました。
開腹手術でないからさほど大事ではないと思っているようで
す。両親は小売の酒屋をしています。
ワンマン店主の父は店のことが気になるらしく、無理を言っ
て予定より早く退院して来ました。おかげさまでまだ大した
自覚症状はありません。
元気にしている父を見ると私もとても信じられません。
ガンであることも知らない父にどう告げたらいいのか、告げ
る方がいいのかすらわかりません。
もしかしたら全てを知って自分で後のことを片づけて逝きた
いと思うかも知れません。
すみません、まとまりがつかなくて・・・
ただみなさんの発言を読んでいるとつらいのは私ひとりじゃ
ないとわかって励まされます。

12 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/13(木) 07:17
はこさんへ、はじめまして。
お父様の件、ご心配なことと思います。。
告知の件ですが、うちの母は全てを知っていました。(最後のほうは脳症のため
自分が癌であったことなど忘れてしまったみたいですが・・)
ただ、告知するか否かでは悩むことは無く、C型肝炎の予後として癌ができること
は十分理解していて、癌の治療の過程で、肝機能低下より治療ができない=先が
長くないと、長い病歴の過程で全てを知りました。
母が自分の不安を口にしたとき(「先は長くないね・・」等)、それを否定することなく、
「自分のやりたいことは全てやっとかないとね・・」など肯定していました。

告知したメリットでは、母本人は家族は絶対ウソをつかないと、家族に絶対の信頼をおき、
なによりも家族が楽だったかもしれません。また、本人にさとられるのでは・・ということ
を気にせず、今できる精一杯のことをすることができました。

ただ、母の不安は想像以上のものだったでしょう。家族もそれに努めて対応していましたが、
十分ではなかったと思います。

告知はほんとに難しいですね・・・。ただ、余命なんてほんとにわからないですよ。
人の命ってほんとにすごいです。

13 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/13(木) 07:35
今日は母の荷物の整理にいってきます。
絵門ゆう子さんの口癖だったのが「生きてなきゃ仕方ない」という言葉だったということが
胸がつまります。母の最期の数ヶ月の口癖が「こんなもんでしょ」ということだったのですが、
その言葉を聞くたびに、母のつらさが身にしみました。自分では、十分すぎるぐらい頑張り、
でも、なかなかいい方向には向かない。でも生きてなきゃ仕方ない、という思いから出ていた
言葉のような気がして仕方ありません。家族が自分ができる限り頑張る姿をみて、家族のために
がんばらねば・・と気遣ってくれていたと思います。母ひとりだったら、とっくに病気と闘う
ことを諦めていたと思います。
母が長生きするのはうれしいことだったのですが、「こんなもんでしょ」を聞くたびに、
家族の存在が「頑張らせている」ことにつらさも感じていました。

どうか、今は幸せな生活を送っていますように・・と願います。

14 名前: はこ 投稿日:2006/04/13(木) 19:55
ばばのしんさん、メッセージありがとうございました。
私の父もC型肝炎から癌に至ることは説明も受け知っているはず
ですが、それを否定したい気持ちが強くて理解できないのか、
本当のところはわかりません。

210さんのおっしゃるように戦いは本人が亡くなって終わるもの
ではないのですね。残された母を支えるつとめが残っているの
ですから。

ばばのしんさんも他の方々も出来る限りの努力をなさったと思い
ますが、どれだけしてもこれで十分と満足することは出来ないの
でしょう。旅立ったご家族の方が今は苦しみから解放されて穏や
かに過ごしておられると信じます。
私もそう思えるようできる限りのことをしたいです。
父には少しでも長く生きて欲しいです。

15 名前: 210 投稿日:2006/04/23(日) 16:19
お久しぶりです。

大分心に余裕が出来てきたかな…と思っていたものの、去年の今頃は元気だったのになぁ、とか、季節が色づく度思い出し涙が出ます。
最低1年は、いない毎日に納得いかず過ごすんでしょうね。

はこさん、私も告知に関してはすごく悩みました。
しかし癌であるという事は医者から告知されてたので、「余命」という期間は伝えなかったという形です。以下はその理由です↓

それでも、手術できない癌=死、を想像しない訳はなく、1度だけどうしようもなく一緒に泣きました。
「まだ死にたくないよ…」
その言葉は今でも痛いです。
「絶対死なないから!」
そうとしか言えなかった。

でも余命という期間を告げなかった分、それから元気に1年近く過せた事で、本人もまだまだ生きられるつもりでいましたよ。
ほんの少しの腫瘍数値の低下も、自信に繋がりました。

うちも自営なので、来年に向けて、いろんな買い物もしていました。

希望を失わないためにも、余命という「期間」までは必要ないと思いました。だって、実際その通りにいかないですから。

そうでなくても、本人は病名を知っただけで、最悪の覚悟はしているハズです。

それと、本人が「後悔しないために」というのは無理だと思います。
仮にいくら時間があったとしても、やり残しなく過せるかといったら、…無理じゃないでしょうか。

癌という病名だけでも、充分本人はやるべき事をやると思います。

あくまで私の考えですが、伝えるからには、それなりの本人の不安も浮けとめてあげる覚悟で…

また伝えないなら最後まで嘘をつき続ける覚悟で…

どちらもつらい事です。

16 名前: はこ 投稿日:2006/04/24(月) 23:46
210さん、まだまだおつらいと思います。
納得したつもりでも不意に涙がこばれたり・・・そういう気持ちすごくよくわかり
ます。私の父はまだ自覚症状がほとんどありません。もしかしたら本人も気づいて
いないだけで「余命」などと言われたら途端にがっくりきて病人になってしまうの
かも知れません。
元気に普通に生活しているだけに、私自身が現実を受け止め切れないでいます。
私たちはまだ現実に直面する前の状態なのかも知れないですね。
本当につらいのはきっとこれからなのでしょう。
多分最期までそばについていてあげることしか出来ないと思いますが、少しでも
希望を持ち続けてほしい、少しでも不安を和らげてあげたいのです。

私は時々たまらなく悲しくなると思い切り泣くことにしています。
だって大切な人をなくすのは本当につらいことなんですから!
納得いかなくて当然だと思います。
210さんもご自愛ください。



17 名前: かず 投稿日:2006/04/25(火) 00:10
お久しぶりです。
父はついに脳症に陥り、2度目の入院中です。
前回は一週間程で退院出来ましたが、今回はもう少しかかりそうです。
今回の入院で意識は戻ってきたのですが、色々な人に当り散らしています。

今回も何とか退院できるかと思うのですが、
前回ほどの回復が見られない事は、素人から見ても明らかです。

それにしても、癌が見つかってからそろそろ1年が経ちます。
癌の治療は一切無し。悲しいです。あの時、手術が出来ないなら、
内科への転科を申し入れれば良かったと後悔しています。

今回退院出来たら、それに合わせて介護休暇を取って
父の介護に専念しようと思います。
自宅介護をする上で、準備しておくべき事など、
アドバイスをいただけないでしょうか。
ケアマネージャさんに介護計画書の作成依頼をしようと思いますが、
皆様の貴重な意見も参考にさせていただければと思います。

よろしくお願いいたします。


18 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/25(火) 07:18
気分は落ち着いたような気もするのですが、いろいろ考えることは増えて
きているような気もしています。亡くなったから全てが終わるように思って
いましたが、そんなことないですね・・・。

かずさんへ。
我が家の介護状態を参考までに・・。
我が家は脳症で、転倒する危険が大だったので、ベットを介護用にかえ、部屋の
手すりを準備しました。バリアフリーの家だったのですが、ケアマネージャーさん
などに家をみてもらって、必要なものを教えてもらいましたよ。(風呂椅子等)
それからは、状態が悪くなるにつれて、ポータブル便器を購入しましたよ。
ものを購入したり、借りたりするのはすぐにできるので、必要になったときでも
大丈夫かも。
むしろ、我が家の場合、父と二人暮らしだったので、24時間父以外に必ず一人家族が
つくようにして、ベット横には必ず誰かがいるという状況をつくっていたので、
兄弟、叔母のローテーション組みが一番苦労したかも。
とにかく、使える全ての人に手伝ってもらえるようにしておいたほうが・・
と思いますよ。

お父様の脳症の程度にもよりますが、脳症を発症する患者さんで一番怖いのは
転倒による各種の出血です。脳症がでていると思わぬ行動をとるので・・。
また、人に当り散らすというのも、症状がそうさせているのかもしれません。
家族もお辛いでしょうが、皆さんが疲れきってしまわないように・・・。
応援しています。

19 名前: 210 投稿日:2006/04/25(火) 16:05
はこさん、ありがとうございます。
そうですね。悲しい時は我慢せず思いきり泣いた方がいいと思います。
大切な人のための涙は、決して無駄にはなりません。

ただ今でも思うのは、本人が辛さを口にした時一緒に泣いて良かったのかどうか…

本当は本人の前で泣いてはいけなかったのかな…とか思ったりします。

本人の辛さを受け止める器としては、私はあまりにもろかったかなぁと…

朝日新聞に、癌をかかえてる方の闘病記事が連載されてますね。それを見る度、本人の当時の気持ちについて考えてしまったりします。

かずさん、自宅介護は大変でしょうが、やはり本人も家族も安心だろうし、頑張って欲しいと思います。

私はついに半身不随になった旦那を、自宅に連れていってあげられませんでした。
ずっと病院に通い続けたものの、毎晩不安で眠れなかった。

また話したい事も、出入りのはげしい病院ではあまりできず、本人も「帰ったら話すよ」と言ったまま亡くなりましたので、そういう点でも自宅介護したかったです。

私のおすすめは、水のいらないシャンプーです。

なかなか入浴がままならない時でも、頭だけでもスッキリできればだいぶ違います。

あとベットだから靴下をはかないので、足もかさつきました。必要に応じて保湿クリームを。

あんまり参考にならずすみません…

20 名前: 富ママ 投稿日:2006/04/25(火) 21:24
皆様お久しぶりです。
仕事に追われ不登校君に追われ残された母に追われストレスMAXです。
まだ父の看病をしていた時の方が充実していたな!と思う今日この頃です。

我が家は自宅では介護する事はできませんでしたが 途中からやはりPトイレ準備してもらいました。
自力で寝返りできない時には バスタオルやクッションで身体の向きをかえてあげました。
父は臭いに敏感になり食事の臭いも鼻に付く。私が直前食べたサンドイッチの臭いまで!
そうなると 足などマッサージする時のオイルやクリームなど臭いの無いものをお勧めします。

自宅介護実現してほしいです。
去年からホスピス専門士の資格が出来たらしく 運が良ければ資格を持たれた方とお話出来るかもしれませんね!
家族と連携とりながら貴重なお時間大切に!

21 名前: はこ 投稿日:2006/04/26(水) 00:46
こんばんは、遅ればせながら別スレの「肝臓ガンの治療は・・・」を
初めから読んでみました。
そこには私が一番知りたかったことと知るのがこわかった事が
書かれていました。それはこの先父がどうなっていくのか?と
いうことです。
知って良かったと思います。
そしてこれまでみなさんが歩んでこられた道のりを知って涙が
流れてとまりませんでした。
みなさんとてもつらい思いをしていらっしゃる時にも他の人を
励まし答えていらっしゃるのを読んで言葉もありません。
私のようにまた新しくここを訪れた人の質問にもていねいに
答えてくださる。
私はまだまだだなと痛感しました。
父の病状もそうです、これからが大変なのですよね。
でもみなさんのように強くならなければと思いました。
ばばのしんさん、210さん、富ママさん、、、みなさんの事を
知ることが出来て本当に嬉しいです。私もがんばります!
的外れな書き込みかも知れませんがごめんなさい。


22 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/26(水) 14:18
臭いについて・・。
よくわかります。うちの母も臭いにとっても敏感でした。そのため食欲が
なくなっていることも多くって。なぜなんでしょうね・・。本人はつわり以上の
苦しみだ・・といっていました。

富ママさん、ファイトです!!
不登校君、実は今の私の仕事が関係しています。(育児休暇中ですが・・)

210さん、私も朝日新聞、胸が苦しくなりながら読んでいます。
答えはでない悩みに入っていってしまいます。
特に様々な選択を決断しなければならなかった家族のつらさに
ついて・・。

かずさん、はこさん。
体も気持ちもきついでしょうが・・・。
どうか、お体に気をつけて。

23 名前: 富ママ 投稿日:2006/04/26(水) 18:36
治療を読んでくれてありがとう。
皆の心の叫びです。
毎日時間は過ぎています。どう生活し乗り切ればよいか答えはありません。
でも少しずつ進んでいますよ!
ここでこうして皆様の声を聞きながらそれを励みにやっています。
かずさん はこさん 諦めず家族のそして自分の為に今を大切に行きましょうね。
 ばばのしんさん
それなら 今の私の心の重さわかっていただけるんだ!!!
それだけで満足。毎日辛いです。
母も後見人の手続き最中です。

とにかくみんなやっていこうね!!!ファイト!

24 名前: なお◆E0MeiFiwsU 投稿日:2006/04/26(水) 19:51
かずさん、はじめまして。
自宅介護の決意、ご立派だと思います。実際、家に帰りたくても帰れない状態の方も多いので、連れて帰ってあげられるといいですね。

自宅介護についてはケア板に参考になる書き込みが多いですよ。
ケアマネージャーさんには私も本当にお世話になりました。
入浴介助に来て下さった方に、漏れないオムツの当て方とか色々と裏ワザを教えて貰いましたし。
介護ベッドは本人にとっても介護する側にとっても必需品ですね。

それから、救急車を呼ぶほどではないけれど・・・みたいな場合の為に、出来れば近くで往診してくれる開業医を探して頼んでおくと安心です。
うちは、たまたま近所の掛かり付けのDr.が『深夜でもいつでも電話してください』と言って下さってとても心強かったです。

直に触れてあげる(背中をさするとか手を握る)事も、病人にとっては嬉しいようです。
自宅介護は、夜中に起こされる場合もあるし色々大変ですが、かずさんご自身もお体に気をつけて頑張ってくださいね。

25 名前: はこ 投稿日:2006/04/26(水) 23:28
今日は父の診察日でした。退院後に撮ったCTと血液検査の結果を聞きに行って来ました。
前にも書いた通りまだ父は自覚症状がほとんどないので私も病人であることを忘れてしまい
そうです。
結果は、他の数値はほとんど変わっていませんでしたが、腫瘍マーカーのαフェト蛋白が急激
に上がっていました。これまで検査の度に12→114→165→305と徐々に上がって行っていたのが
3670になっていたのです。これはかなりショックでした。
今後のことも先生は何もおっしゃらなかったし・・・
父は早いうちに検査で見つけて治療してもらっているから安心と思っているようです。
私がしっかりしていなければいけないのに、検査結果に一喜一憂する始末です。
みなさんが乗り越えてこられた道のりとくらべたら、まだ泣き言を言うのは早すぎるとわかって
いるのですが、時々本当に不安になってしまいます。
明日は元気になります、今すこしだけ弱気な私を許してください。




26 名前: 富ママ 投稿日:2006/04/27(木) 23:28
はこさん。
泣きたい時はここで思いっきり泣いて落ち着いたらまた明日、
ごめんね~一日ずれてるけど
穏やかなはこさんの顔でお父様とお話してください。
それが治療不能な家族の方には一番の応援になるかと思います。
あきらめないでね。

27 名前: 210 投稿日:2006/04/28(金) 23:08
はこさん、まさに私たち素人は、本当数値に感情が左右されますよね。

うちの旦那の場合、逆に腫瘍マーカーはどんどん下がってたんですよ。

手術できないと言われた当初、2500あった数値が、みるみる13まで下がりました。

本当「奇跡?」と期待したんです… なのに転移ですよ。 数値なんてアテにならないなぁって実感しました。

はこさん、数値が上がってショックですよね。本当わかります。でも、あくまで数字は数字、本当に癌という病は、未知なものだと思います。
意外にまた数字は下がったりするかもですし、今のお父様が元気でいらっしゃる事の方が大切じゃないですか。

急に変な例えを出しますが、ある昆虫(名前忘れました)は、物理的にはどうやっても飛べない形のハズ…なのに、それでもなぜか空を飛んでいるのです。
それはなぜかというと、その虫本人が「自分は飛べないんだ」と言う事に気付いていないから。だそうです。

これが本当の話なら、常識を覆す事もあるのかも、と思います。

はこさんのお父さんは、自分は治ってる、と思い込んでいるのだから、もしかして本当に治ってしまうかも。 そう期待してあげましょうよ。

なんて、本当ヘンな事言ってごめんなさい。

いくら口では信じてると言っても、やはり心の奥で最悪な事を考えない時はないですよね。

いっぱい悲しむ自分と、治る事を信じる自分、私もずっと交差し続けていましたから…。

なんか、何のアドバイスにもならなくてすみません

28 名前: はこ 投稿日:2006/04/29(土) 09:48
富ママさん、210さん、みなさん、おはようございます!
まさにおっしゃる通り、絶望して夜も眠れない自分と治ると
信じて強くいられる自分の間を交差しています。

父は自分が治ってると信じていることで元気でいられるんだと
思います。だから私も素直に信じたいです。

みなさんもきっと経験があると思うのですが、夜考え始めると
悪い方へ悪い方へ向かってしまいますね。そして眠れなくなって。
目の下にクマなんか作っててはいけませんね!

私は最近よく『治療』を読み返しにいきます。
するともちろん悲しいけれど励まされます。
そこには私以上のつらい時を過ごされてる人たちがいる、なのに
今こうして私を力づけようとメッセージを下さってて・・・
その強さと勇気に答えなきゃ!と思えるんです。

かずさん、お父様の介護に専念しようとする決意すごいです。
大変でしょうが頑張ってください。ここには先輩がたくさんおられて
貴重なアドバイスを頂くことができます。

私も父の仕事の引き継ぎ、漢方などの情報集めそして願掛けとバラバラ
なのですが思いつくまま、今できることを何でもやろうと思っています。
みなさん、頑張りましょうね!


29 名前: 由布 投稿日:2006/04/29(土) 23:13
富ママさん、やっとここをみつけました。お母さんの事ごしんぱいですね。
きっと私と、同年輩ぐらいですよね、お父様のことで、性も根もつかいはた
されたのでしょうね。でも最近の富ママさん、明るくかんじますよ、
ここを見つけたときは、末期という字に威圧され暫く考がえました。
まだ末期とは信じたくない~・・・・・病院の売店で担当医にばったりであい、
開放的な場所だったから、深刻に受け止めれなかったのか。4年半前、
最初に出来たところが、肝門に突き刺さっていたのに、良くここまで持ったと
感心します、と云われたましたのに、よい方に解釈してしまいました。
内は、此れから先のこと結果などは、まず先生と主人とで話し合ってそれから
家族に知らせる、ことにしますとのことでした。
5年前までは長男と、フルマラソン42・195K走るのが楽しみな人でした、
肝癌になってからは、入院の合間を見て、大雪山、夕張岳など2千米級の山、
標高差は6~7百ですが昨年は7個ぐらい制覇しました。わたしは、いつも
8~9合目でギブアップです、今年も赤岳に上ると張り切っています。
病は気からだと信じて居る様ですし、大自然から、パワーと免疫力貰ってるのかなと
おもうくらいです。医師は、気力体力、精神力があっても癌には勝てませんと、
いわれましたが。この状態が少しでも長く続くことをいのるのみです。

30 名前: 富ママ 投稿日:2006/04/30(日) 10:53
由布さん いらっちゃいませ!探してくれてありがとう。まだ私を必要としてくれている人がいると思うだけで元気がでてきますよ!こんな私でよかったら
なんなりと!でも、一つだけ!本当に数値を言われても判断し兼ねるのです。なぜか!今から父の事を話します。
もう一度聞いてください。
 治療にカキコしたのは11月。10月に入りいきなり父が食欲不振と背中の痛みを訴え病院を進めたけど 嫌いなんですよね~
おでこに黄疸がみられ 家族で説得して10月末個人病院に受診。
次の日大きな病院で検査。そして次の日即入院。その頃腫瘍マーカーが47000でしたでしょうか!
黄疸数値は4位。なんの治療も出来ないまま「自分はなんでここにいるのか」と言われながら
ほどこし様のない父に対し 嘘を突き通す。それが家族の宿命でした。週単位で黄疸数値も上がり
臭いが鼻に付きまったく食事も取れなくて点滴と麻薬の痛み止めだけ。途中幻覚もきました。
12月に入って1週間位は付き添いです。最後の二日は昏睡に入り尿量も極端に減ってしまいました。
亡くなる8時間前にしっかり意識を戻しうなずきながらでも最後のお話をして12月12日夜天国に旅立ちました。
それからは 父の色んな手続きに追われあっという間に福祉士の試験。
まったく勉強も手につかずいつも 治療のページ見ながら泣いてました。検査を含め46日の入院でした。短すぎて何にもしてあげられなくて

現在はまたこうしてお話できる方に私も力を頂きながら生活しています。
なんのアドバイスも出来ませんがみなさんの「家族を応援する姿」に後押しされています。
  私がカキコした時は誰からのメッセージも無く辛かった!助けてほしかった!
そのまますべてが終わってしまい、  このページはそんな方のために!!!出来たのではないかと思います。

ご主人さま。やりますね!!!元気の塊!!ギャップが激しすぎて落ち込みますし信じたくないですね!
家族の信じる気持ちが一番だと思います。
  長々すいません。 


31 名前: 由布 投稿日:2006/04/30(日) 22:44
富ママさんありがとう。本当に辛い思いをされたんですね。私はまだまだ幸せな方ですね、
今、あちらの掲示板を見て、泣いてしまいました。45歳長男と、嫁と同じ年です。長男も
8年前胃がんにかかり、嫁がみては居れないほどかわいそうでした。
咲ちゃん何歳でしょうね、家にも看護大3年、高3の女の子と小4の孫がいますが
同居では有りませんが、近くにすんでいます。咲ちゃんの事が身につまされます。
うちは、C型肝炎からでしたので、以外と早くに見つかりました、
悪いとこに出来てはいましたが、主人も私も、C型肝炎に対して無知だったので、
あまり深刻に考えませんでした、今も腫瘍マーカーの事は医師からなにも聞いてはいません
黄疸もでてはいませんが、次々に出て焼く事も出来ないほど無数に出来てきます。医師からは
今までの様には行きませんと云われましたが、今日も友達を呼んで、麻雀を11時からやって
います、丁度2年前と今年1月末に麻雀中、倒れ意識不明になったのに、
こりもせずやっています。本当に本当に、この人病気なのかとおもいますが、私の方が病人で
鬱状態で、富ママさんの言葉に励まされています。嫁も良い人ですが、仕事がんばってるし、
息子一家にな波風たてないように、あまりなやみごとは、云わないようにしちます。小4の孫が
『お爺ちゃん病気になったら、俺こまる、習字教えてくれる人いなくなる』というので、
頑張ってるのかも、家族の心って一番の励み、富ママさんあなたは、ほんとうに、観音様みたいな
人だとおもいました、咲ちゃんに良い事云ってくれましたね、私まだ涙がとまりません、泣きながら
書いています。支離滅裂でごめんなさいね。咲ちゃんのお母さん根性で直ってほしいと祈っています。

32 名前: かず 投稿日:2006/05/01(月) 23:49
こんばんは。
皆様、コメントありがとうございます。
ケア板も読ませていただきました。自宅介護の大変さを感じました。
私自身、甘く考えていた部分があったようです。読んでわかりました。
反省です。

このGWは実家に帰って、毎日病院に顔を見せに通っています。
一日2回。内1回は面会時間外なんですけどね。
まぁ、いいでしょ。

1日だけでも帰宅できたら、一日中付き添い、出来るだけのことをしたいです。
退院できたら、一日中付き添い、出来るだけのことをしたいです。
甘い考えかもしれないけど、そうしたいと思います。


33 名前: 富ママ 投稿日:2006/05/02(火) 00:25
かずさん。夢は現実になると信じて乗り切ってくださいね!

34 名前: 由布 投稿日:2006/05/02(火) 09:31
かずさん、私がこんな事言うのは生意気かもしれませんが、
かずさんそれで、いいんですよ、私も自分で出来るぎりぎりまでは
自宅で看病したいと考えています。どうしてもできなくなった時は、病院え
と考えています。看護師さんから、百人いたら百人ともそれぞれ進行状況は
違うから、と聞いています。私の知人のご主人も、ぎりぎりまで自宅看病
それもソファで、本人が床に就いたら駄目になってしまうと考えていたらし
くトイレ間に合わなくて、オムツしてたそうですよ。いよいよ辛くなって、
自分から、病院え入るといわれたそうです。病院に入ったとたん本人も、
ほっとされたのか、幻覚でたりで、1週間で、他界されました。

35 名前: はる 投稿日:2006/05/03(水) 12:12
皆様お久しぶりです。はるです。
時々ここを読ませてもらっていました
本当に皆さんの頑張りが励まされます
父は5日から入院する事になりました。
今より強い抗がん剤を今度は点滴から入れるそうです。
いよいよ死期が近づいているようで・・涙が止まりません

一番つらいのは父だと思いますが支えていく家族も本当に
つらいですね。でも父の前ではプラス思考で明るく振舞いたいと
思っています。今日明日父と一緒にゆっくり過ごしてきます



36 名前: あかね 投稿日:2006/05/03(水) 15:32
父が胃ガンからの肝転移で終末期を迎えています。
足はパンパンにむくみ、腹水も胸のあたりまでたまってきています。
痛みに強いのか 足以外はあまり痛みを感じないようです。
黄疸は少し。
医師の話では それほど長くない(日にち単位)ということでした。
これから どういう経過をたどるのか差し支えなければ体験談を含めて教えてください。


37 名前: 富ママ 投稿日:2006/05/04(木) 00:06
今は心労の毎日のようですね。心中お察しします。ギリギリのご様子。
うまくお話できないのですが、皆様それぞれちがいますので!
癌が肝臓のどの位置にできているとか、骨の転移などさまざまです。これは激痛みたいです。
腹水は抜いてもらう事が出来ますがやはり本人の体力次第です。
おしっこも私は気になりましたが210さんの様にそれとは無縁の方もおられます。
皆様本当に毎日が違いますから出来たらお父様のそばで自分が感じるままに!
今の内容でしたら劇薬を使っていらっしゃるのか~~~
それによってもまたお答えがちがってくるとも思います。
心配でしょうが 明日も笑顔で接して下さい。

はるさん。
まだ治療ができるんですよ!まだまだです。
笑顔で頑張ってね!

38 名前: あかね@携帯 投稿日:2006/05/05(金) 17:07
>富ママさん
ありがとうございます。
83才で高齢なのと肝臓がガンに埋め尽くされてるぐらいひどい状態なのですが本人の気力が強いのか主治医も驚いています。
でも腹水と下半身のむくみがひどく今日は肩で息をしてるような感じです。
症状は人それぞれなんでしょうね。自分が覚悟するためにに、いろんな情報が欲しいのでよろしくお願いします。

39 名前: 富ママ 投稿日:2006/05/05(金) 19:05
あかねさん。私の父は無数の癌と大きなのが門脈を押しつぶす様に出来てしまい手術も抗がん剤も不能な状態でした。
10年前C型肝炎をインターフェロンで克服。本人は直ったから全然ちがう病気を考えていたようです。
皆さんの事はわかりません。
我が家は点滴痛み止め吐き気止め。それだけです。
薬により幻覚が来るようになり見る見るうちに歩行困難。部屋にPTを置いてもらい2人部屋を個室のようにしてもらい
SPO2(酸素濃度)が90切ったら酸素鼻から1ℓ。尿量は看護師と共にチェックしました。
酸素最高5ℓまででした。その頃は尿量が少なくなってしまい一日で200あったでしょうか。
その頃には肺炎も併発。微熱も出ました。呼吸が苦しそうなのであごを上げて気道確保。
常に目をつむってますが本人には聞こえている様子。いらない事は本人の前で話さないように!
最後の1~2日は痛み止めの座薬もなくなってしまい、亡くなる少し前にすごい寝返りうちました。
落ち着いたと思ったら 先生が飛んできて脈が30です。で、終わりです。
食事は二ヶ月食べてません。
人とお父様はちがいますよ!それだけです~~~
あまり心配しないで頭でっかちにならないで 今のお父様をしっかりみてあげて下さい。
一日でも長くそばにいてくださいますように!!!


40 名前: はこ 投稿日:2006/05/05(金) 22:42
富ママさん、つらい経験を語ってくださってありがとうございます。
人それぞれ症状も経過もまるで違うとわかっていても知りたいと思うのは不安を打ち消すためでしょうか?
知っても不安になるのに知って覚悟しておきたいと思う。多分あかねさんと同じ気持ち、いえ、ここに来ておられる
人はみんな同じ思いをしているのですよね。
でもみんなひとりじゃないです!
つらい時は我慢せずにここに来て不安な思いをぶつけてください。
私もそうして励まされています。そしてまた笑顔で病気と闘いましょう!


41 名前: あかね 投稿日:2006/05/06(土) 09:40
ありがとうございます。
父は今小康状態を保ってるので一旦帰宅できました。
うちの場合、母がうつ病を薬でなんとか押さえてる状態で
私がパニックになるわけにはいかず 
どんなことがあってもなるべく動じないように覚悟だけはしておきたかったんです。
んです。
たとえば 吐血があるかもしれないという知識を持ってるのと 
持ってないのとでは多分その場でのショックが違うと思うんです。
たとえ少しでも知識があれば 覚悟もできるかと・・・
それでも パニックになるんだろうとは思いますが。

私の書き込みで 辛い事を思い出されたのならすみません。
でもどこの解説にも載ってないことが ここの掲示板の家族の方の書き込みでわかることも多いです。


42 名前: あかね 投稿日:2006/05/06(土) 09:53
連続投稿ですみません。
正直 辛いです。
ここ10年近く 母の病気、父の胃摘出の手術、転移、救急車での入院とホントは体も心もボロボロなんです。
でも 今私が倒れるわけに行かないと思うと、どんなショックにも耐えられる強さと冷静さが欲しい。
母の前で弱音を吐くわけにもいかず、がんばってる父の姿を見たら尚更です。
今まで 辛いって人前で大声で泣けたらどんなに楽だろうと思ったことが何度もありました。
ここに来て みんながんばってるんだと思うと心強いです。
私だけじゃないって・・・

弱音吐いてすみません。

43 名前: 富ママ 投稿日:2006/05/06(土) 10:08
あかねさん。いいのですよ!今は家族の支えが一番ですから ここで泣いてまた笑顔で接してください。
すぐに亡くなるのもショックですが 介護の時間が長引くと家族にまで影響しますから
どうぞお身体ご自愛ください。
 吐血の件ですが 常に危険と隣り合わせだと思いますよ。
父は幸い大出血には至りませんでしたが「血管への影響」は先生から聞きました。
吸引する時も鼻から、口から出血していましたので~
心配の連続でしょうが ファイト!
では仕事に行ってきます。みなさんにとって最高の一日でありますように!

44 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2006/05/06(土) 13:00
皆さん本当に、親孝行なお子さんばかりで、ご両親もどんなにか
心強い事かとおもいますよ。私なんか71歳一人で、主人の
看病しています、息子一家が、近くにいてはくれますので、
いざと云う時は、力強くは思いますが、息子達にもそれぞれ
生活があると思って、泣き言はいいません、あかねさん、偉いと
思いますよ、この辛さを乗り越える事によって、人生の糧となり
ひとまわり、大きな人間になっていくんだと、おもいますよ。私も
主人が、がんと分かっ時と、二人の息子が、それぞれ大病を
患ったと時、風呂場に入り水を出しながら、シャワーもジャージャー
出しながら、もう後は泣かないと、思いっきりわんわん30分ほど泣きました。
出てき来たら、テーブルの上に夕食の支度がしてありました。
嫁が、置いていってくれたのです。非常用の鍵もってたので、
お母さん留守のようでしたからと、嫁も貰い泣きして帰ったようですが、
その事については、今もなにも云いませんが、泣けてよかったと思いますよ。私も
抗不安剤、頭痛薬、ほか持病の薬のみながら、主人の病状、顔色に一喜一憂しながら
その日その日をすごしています。お母さんキット貴女を頼りにしていらっしゃいますよ。
でも、ご自分の息抜きも必要です、共倒れは、絶対さけなければね。
とにかく、頑張ってください。人にいいながらも、自分をも励ましているんですよ~

45 名前: ばばのしん 投稿日:2006/05/06(土) 20:31
皆さん、お久しぶりです。
GWは、今までの子どもたちの半年間の我慢に対する感謝の気持ちで、とにかくとびまわっていました。
だんなが上二人を今も連れ出してくれているので、久々に書き込むことができています。

たくさんの書き込みがあっているので、お一人お一人にエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
母を看ていたときの自分と照らし合せてしまっています。
私も一番気になっていたのは、母の病状の進みかたでした。検査データや、どのような転機をたどるのか
ということでした。皆さんのお気持ちが痛いほどわかります。
我が家の場合は、治療不能の段階になってから、腫瘍マーカーの値よりも、アルブミン、ビリルビンなど
のほうが気になっていました。でも、いよいよの3ヶ月ほどは、検査データーよりも本人の状態をみて判断
してくださいとの主治医の言葉でした。ほんとに、その通りだったと思います。
本人の気力があるときは、やっぱり目が違います。

今、戦っている方々へ。
検査データのわりに元気そうに見えるとき。それは本当に本人の気力も充実し、調子がいいのだと思います。
どうか、データーに左右されないでくださいね。悪いデーターに気持ちが引きずられてしまいます。
本人が元気そうにしているときは、周りも大丈夫!!!と強い気持ちでいてください。
信じる力は、ときに幸せな時間をのばせるような気がしています。

転帰については、やっぱり患者さんそれぞれです。私たちも主治医を信頼していましたが、主治医から積極
的に説明をしてくれることはありませんでした。自分たちでできるだけの情報を収集し、しつこいぐらいに
主治医にコンタクトをとっていたように思います。
我が家はいろいろ聞きたがりの嫌な患者の家族だったかもしれませんが、主治医にその旨謝ったところ、
「自分でも自分の親だったら、あなた方のようにすると思いますよ。」といわれました。
一生懸命な気持ちは伝わります。自分の家族の治療の中心である主治医とたくさんコンタクトをとりましょう。

私がつらかったとき。
後ろ髪を引かれながら家に帰るとき、母の目に力が無いとき、母の死への不安を思ったとき、
母の気持ちを考えたとき、たまらなくなることが多々ありました。母を目にしてどうしても涙が止まらなかっ
たときもあります。
ある時期は、どうしても眠れなくなったときもありました。
たぶん、みなさん同じような時間を過ごしていると思います。楽になる方法はわかりませんが、
どうかみなさんが強い気持ちでいられるようにと祈っています。

今振り返ると、ほんとにしんどかった時間でしたが、やっぱり一番きつかったのは母だったと思います。
どうか皆さん、患者さん本人を支えてあげてください・・。
よろしくお願いします。





46 名前: 富ママ 投稿日:2006/05/06(土) 23:14
由布さん。お話聞くと心が痛みます。
私が言うのもなんですが、母親と同じ頃の年齢。
どうか、ご自分のお身体も考え 大切にされてください。お嫁さんも大変優しいかたですね!
あまり遠慮されずに相談されてみてはどうでしょうか。
嫁でつまはじきにされた私は 相談された方が嬉しかった過去の記憶が蘇ります。
大切な方の大切な時間、今こそ家族が一丸となる時ではないでしょうか。
多分、いや絶対遠慮しないでほしいと   私は待っていました。
押し付けがましかったらごめんなさい。
マージャンは大丈夫だったんですね!私もやりたいな~~~
これ頭を使うんです。記憶にないくらいしてないです。

47 名前: 由布 投稿日:2006/05/07(日) 13:50
富ママさん。お仕事おつかれさま。ご心配頂きありがとう。
嫁とは、仲良くやっていますよ、富ママさんが言われるように
もう少し、うちとけたら良いとは、分かってるのですが、私も
わがままなところがあるし、嫁も気がつよいので、人間的には
私の方が劣ってるので・・・・・
難しい年頃の子供を、3人頑張って育ててるし、
仕事も神経使う仕事で、大変みたいなので、どうしても遠慮して
しまいます。でも出来る限りは自分しなければと考えています。
主人は不満なようですが、二男も42才で独身、歯科技工士で忙しい
ようす、でも、今はマージャンしたり碁をしたり、登山したり出来る
ので、もう少し悪くなれば、考えると思っています。私も自分の趣味
の水墨画、詩吟は手につかず、山は同行しています。何かあったら、
大変と思い、でもキツイです、途中でギブアップ仲間がいるので、私は
そこで待つ事にしています。主人には一番したい事をしてもらいたいと
思っています。私は勘当の身、倒れても一人で、とやって来たのがわるかったのかな?
もう少し嫁を、大事にし、頼り相談してみます。反省~~~



48 名前: はこ 投稿日:2006/05/07(日) 17:53
ばばのしんさん、GW飛び回っておられたようで。
ご家族で楽しく過ごされましたか?
私の両親も2泊で温泉旅行を楽しんで来ました。元気に帰って来てくれて私も
とても嬉しいです。

主治医とコンタクトを取ることですが、うちの場合は父本人に告知をしていない
ため特に重要です。本人を前にして詳しい話は聞くことができません。
主治医の先生はもちろん肝臓専門の方でていねいに検査をして下さる慎重派で
父も私も信頼しているのですが、本当に必要なことしかお話されない方です。
私も何でも知っておきたいと思いいろいろ質問するのでいやがられているような
気がします。
入院中もお話を伺おうとしてもなかなか時間をとってくださいません。
「今はアンギオの結果しか伝えられないから後日時間を約束して来てください」と
言われたこともあります。
処置の結果だけでも聞きたいと家族が思うのは当然だと思ったのですが・・・
もちろん先生がお忙しいのはわかっています。患者も父だけではないのですから。
先生とコンタクトをとることに今少しとまどっています。
このことが私の不安の一因でもあるような気がします。
やはりもっとこちらからコンタクトをとり、説明を求めてもかまわないのですよね?


49 名前: 由布 投稿日:2006/05/07(日) 21:38
はこさん。どんな小さなことでも知りたいですよね。家は面接の曜日が、決まっていますので、事前に時間を予約する事になっています。
また、担当医もどんなことでも、こんな事くだらないと思はれるだろうかな、と思うような事でも聞いてください、それの方がこちらも
やりやすいですから、と初めにいわれました。「後日時間を約束してきてください」と、ありましたので、電話で予約して見られたらどうでしょうかね。
富ママさん。
良く考えてみたら、やはり富みママさんがおっしゃる通りですよね、自分だけ良い子に成って居た様な気がします。なぜなら、治療入院中にも主人は、
凄く子供の事を気にしています、心細くてきっと逢いたかったんですよね。でも病院が遠くて、車で片道二時間、JRでも二時間半かかります。私は一人で
頑張りすぎて、毎日行きましたが、それとこれはちがいますよね、折を見て、子供達、嫁も交えてよく話してみます。本当に良いアドバイス有難うございました、
感謝します。。。。。

50 名前: 富ママ 投稿日:2006/05/07(日) 22:58
由布お母さん。
最近の嫁は気が強いもんです。そうでもしないと子育てやご主人の病気には立ち向かえませんよ!
でもね~~私もそうなんですが 気の強い女ほど思いもよらず優しい人もいますよ~~
頼られるのはすごく嬉しいです。片道の時間を気にしていたら大切な時間 損してしまいます。
週に一回でもいいじゃないですか。嫁さん達も出来る事をしないと後で後悔して それこそ何かあった時
言い合いになるかもしてませんね!
ここは歳のコウとして折れてみて家族の協力いただきましょうよ!
そこからより良い信頼関係が生まれてきるんじゃないかな~~~なんて!
しっかり話し合いしてください。
  はこさん。
先生と連絡とりずらいですね~~私もでした。でも、私には時間無くどうしても気になっている時は電話しました。
また、病院で先生に会うときには父親に顔を合わせないように忍者みたいな動きをしたこともあります。
病状 治療の予知も無い父が心配していた時は 先生にうそをついてもらいました。
それは先生との信頼関係を失わないためと、父を安心させる為。
思い出せば色んなことやったんですね~~~



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